干瓢巻き
干瓢巻き(干瓢巻、かんぴょうまき)は、甘辛く煮た干瓢を具材(芯)とする海苔巻きである[1][2]。「鉄砲巻き[3][4]」「木津巻き[5][6]」ともよばれる。鉄火巻きやかっぱ巻きと並ぶ代表的な細巻き寿司であり[7][8]、江戸前寿司では単に海苔巻きと言えば干瓢巻きを指す[9][10]。握り寿司を食した後の締めとしても好まれる[5][11]。 歴史現在につながる巻き寿司が誕生したのは、江戸時代中期である[12]。1750年(寛延3年)から1776年(安永5年)頃に上方で生まれたと考えられており[13]、1787年(天明7年)には早くも江戸まで広まっている[14]。この頃の巻き寿司は、海苔だけでなく、紙やフグの皮、薄焼き玉子、ワカメなどで巻かれ[15][16]、具材(芯)としては、魚のほかにキクラゲや栗、椎茸、三つ葉などが一緒に巻かれていた[17][18]。 上方では太巻き寿司が主流であったが、江戸ではその後、細巻き寿司が好まれるようになった[19][20]。これは、上方では具材が少ないと寂しいと感じた一方で、江戸では具材が多いのは粋ではないと考えられたためとされる[21]。江戸では海苔巻きと言えば干瓢の細巻き寿司が一般的となり[5][19]、1853年(嘉永6年)に発刊された[22][23]江戸の風俗を解説した『守貞漫稿』でも、海苔巻として干瓢の細巻き寿司が掲載され、「かんぴょうのみを入れる」と説明されている[9][17]。 その後、鉄火巻きやかっぱ巻きなど細巻き寿司の種類は増えたが[24][25]、煮汁を含んだジューシーな食感で寿司飯や海苔との相性の良い干瓢の細巻き寿司は[5]、特に握り寿司を食した後の締めとして[5][11]「安らぎと安心感を与えてくれる[5]」「安心感にひたれる[6]」「安らぎと充足感を与えてくれる」などと評されている[11]。江戸前寿司の老舗の中には、今でも巻き寿司としては干瓢巻きだけを扱う店もあり[26]、現在に至るまで江戸前寿司の代表的な巻き寿司として親しまれている[27][28]。 別称鉄砲巻き干瓢巻きは、巻かれた形[11][29]、あるいは、4つ切りにして寝かせて盛り付けられた様から[30]、「鉄砲巻き」とも呼ばれる[3][31]。ただし、細巻き寿司一般を「鉄砲巻き」と呼ぶとするものもあれば[32][33]、逆に干瓢巻きの中でも山葵を入れたものを見た目と辛さから特に「鉄砲巻き」と呼ぶとする資料もある[34]。 木津巻き干瓢巻きは、主に関西で「木津巻き」とも呼ばれる[5][6]。その由来については、以下のような複数の説がある[29]。
調理法具材(芯)→「干瓢」も参照
具材(芯)には、水で戻して塩揉みした後に茹で、醤油や砂糖などで甘辛く煮た干瓢を用いる[35][36]。甘辛く煮るのは、寿司飯との相性を考慮してのものである[27][30]。 干瓢の戻し方は難しく、硬すぎると噛み切れず、柔らかすぎると風味や食感を損なう[35]。また、味付けも濃すぎると干瓢の旨味や風味を殺してしまう[2]。このため、干瓢巻きでその店と職人の技量が分かるとされ[11]、「カンピョウの歯ごたえと味付けがよければ、そこはいい店だ」と言われる[35]。ただ、市場などで販売されている干瓢煮を買ってきて使用する寿司屋も増えてきている[35]。 通常、干瓢巻きには山葵は入れない[37]。「かんぴょうにワサビを入れるのは野暮」とされることもあるが、真意は不明である[38][39]。山葵を入れた場合は、さっぱりとして軽い食味となる[40]。 巻き方
盛り付け一般的には、他の細巻き寿司は6つ切りにして切り口を天地に向けて盛り付けるが、干瓢巻きは4つ切りにして[51][53]煮汁が染み出さないように[43][51]寝かせて盛り付けるとされる[37][54]。ただ、江戸風俗の研究者で、文化庁文化財保護審議会専門委員などを務めた宮尾しげをは[55]、かっぱ巻きや新香巻きなどは8つ切り、鉄火巻きは6つ切りにするとしている[31]。それでも、干瓢巻きは4つ切りにすることと、それぞれの盛り付け方は通説と同じである[31]。 干瓢巻きの「6つ切りは野暮」と言われるが、これも理由は定かではなく、噂話の類ともされる[56]。あえて干瓢巻きを6つ切りで提供する寿司屋もある[40]。4つ切りは重厚感があり、6つ切りにした場合は軽く食べられるとされる[40]。 干瓢に味がついているため[40]、通常、干瓢巻きには醤油をつけず、そのまま食する[30][40]。 文化
参考文献
出典
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