常願寺大橋(じょうがんじおおはし)は、富山県富山市の常願寺川の河口から3.1224㎞[1]に架かる国道415号のトラス橋である。かつては国道8号の橋であった[2]。1986年(昭和61年)12月9日に国道8号滑川富山バイパス水橋上砂子坂 - 水橋金尾新が開通した後は、国道415号に指定変更された[3]。
沿革
天保河図によれば、市田袋と町袋の間に舟渡があった。1880年(明治13年)、芝草村に『聖人松渡し』(川幅93間=約167.4m)を高瀬小舟で渡河した(人3錢を徴収)[1]。
1893年(明治26年)2月、前年の常願寺川新可道開通に伴い現橋の下流約900mの野中と宮条の間に、富山県により橋長190.16間、幅員3間の木橋7『常願寺橋』が架橋された[4][注 1]。その後、1919年(大正8年) - 1920年(大正9年)にかけて架け替えを行い[6]、さらに1927年(昭和2年)11月15日に新橋の建設に着手、翌1928年(昭和3年)に旧木橋を撤去した上[6]で同年5月19日[7]に町袋 - 市田袋間[6]に木桁橋(木造土橋[6])として架橋された[7]。当時は上流の常盤橋と同時期に竣工したため、姉妹橋と言われていた[6]。
現在の橋は1950年度(昭和25年度)対日援助見返り資金道路整備事業の指定を受けて着工し[6]、1952年(昭和27年)10月に常願寺川で最初の永久橋として架け替えられたものである[8][9]。1979年(昭和54年)には、現橋下流側に歩道橋が設置された[10][6]。
1984年(昭和59年)から3か月かけて床板を全面的に取り壊し、IBグレーチング床板に交換、縦桁の増設も行った[11]。
橋データ
- 常願寺橋(1928年架橋の橋梁)
- 常願寺大橋(現橋梁)
脚注
注釈
- ^ 1911年(明治44年)の地形図にも『常願寺橋』が架橋されているのが確認されている[5]
出典
- ^ a b 『新庄北のあゆみ 輝・絆』(2018年2月28日、新庄北自治振興会発行)73頁。
- ^ a b c 『角川日本地名大辞典 16 富山県』(1979年10月8日、角川書店発行)436ページ
- ^ 『富山市史 続年史〈上巻〉』(2015年3月20日、富山市発行)433ページ。
- ^ 『新庄北のあゆみ 輝・絆』(2018年2月28日、新庄北自治振興会発行)73 - 74頁。
- ^ 5万分の1地形図「魚津」(明治44年測図)より。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『新庄北のあゆみ 輝・絆』(2018年2月28日、新庄北自治振興会発行)74頁。
- ^ a b c d 『新聞に見る20世紀の富山 第1巻』(2000年5月20日、北日本新聞社発行)177頁。
- ^ a b c d e f g 『富山博記念写真帳』(北日本新聞社発行)62、63ページ。
- ^ 『富山市史 通史<下巻> 』(1987年1月10日、富山市発行)834ページ。
- ^ a b 『富山市史 続年史〈上巻〉』(2015年3月20日、富山市発行)431ページ。
- ^ 『富山工事事務所六十年史』(1996年2月、建設省北陸地方建設局富山工事事務所編集・発行)642頁。
- ^ a b c d e FR16:川を渡る橋・富山県(2019年9月30日閲覧)
- ^ a b c 『富山工事事務所六十年史』(1996年2月、建設省北陸地方建設局外山工事事務所発行)451頁より。
- ^ a b 『富山市史 通史<下巻> 』(1987年1月10日、富山市発行)831ページ。
関連項目