巖谷國士
巖谷 國士(いわや くにお、略字表記:巌谷 国士、1943年1月7日 - )は、日本のフランス文学者、評論家、随筆家、写真家、小説家。明治学院大学名誉教授。 経歴
1943年、国文学者・巖谷榮二の長男として東京市芝区(現:東京都港区)高輪で生まれた[1]。幼少時から文学、美術、漫画、映画、建築、園芸などに親しみ、東京の町々を巡った。区立中、都立高、神奈川県立湘南高等学校[2]を経て、1961年に東京大学文科2類に入学。 東京大学在学中は世田谷区松原に住み、大学闘争と同人誌活動に精を出した。扇田昭彦、藤井貞和らと親交をむすび、たまたま隣家に住んだ池田満寿夫、富岡多恵子とも交流。1963年、瀧口修造、ついで澁澤龍彦と出会い、その後長く親交は続いた。それをきっかけにシュルレアリスムを生涯のテーマときめ、東京大学文学部フランス語フランス文学科に進んだ。卒業論文『アンドレ・ブルトン序説』を書いて卒業。 東京大学大学院文学研究科へ進学[3]し、また、シュルレアリスム研究者・批評家としてデビューし、詩や美術の雑誌にエッセーを発表しはじめた。修士論文には『シャルル・フーリエ序説』を書き、博士課程へ進学[3]。1968年から1970年にかけて、ワルドベルグ『シュルレアリスム』、ブルトン『ナジャ』、フーリエ『四運動の理論』の翻訳を刊行した。この頃、石井恭二、松山俊太郎、加藤郁乎、種村季弘、野中ユリ、谷川晃一、加納光於、土方巽、唐十郎、金井久美子、金井美恵子らを知る。映画輸入会社の資料翻訳、非常勤講師などで自活していた。1970年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程を中退。
1970年、明治学院大学文学部フランス文学科の専任講師となった[3]。この時期は、創刊間もない中央公論社『海』で「評伝アンドレ・ブルトン」を不定期連載。他にシュルレアリスムの文学・美術をめぐるエッセーや、フーリエとユートピア思想・オカルト思想などについての論考を発表。1974年、シュルレアリスム100年を記念する桑原茂夫の企画で、中西夏之、野中ユリ、高梨豊の美術と写真による協力を得て、ブルトン『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』初版の全訳を刊行した。 人文書院の『アンドレ・ブルトン集成』と河出書房新社の「骰子の7の目 シュルレアリスムと画家たち」シリーズでは、監修者の瀧口修造を補佐し、白水社の「小説のシュルレアリスム」シリーズでは企画に加わるとともに、多くの巻の解説を書く。これらのシリーズのうち、ブルトン『失われた足跡』、パスロン『ルネ・マグリット』、イヴシッチ『トワイヤン』、ブルトン『ナジャ』初版本、ルネ・ドーマルの小説『類推の山』などの翻訳を担当。ほかにマンスールの小説集『充ち足りた死者たち』や、エルンストの『百頭女』をはじめとするコラージュ・ロマン三部作と『絵画の彼岸』などの訳書を上梓している。 専門の著書としては、1976年に『幻視者たち 宇宙論的考察』と『シュルレアリスムと芸術』を、1977年に『ナジャ論』と『シュルレアリスムと小説』を刊行。雑誌『ユリイカ』別冊「シュルレアリスム」「ダダ・シュルレアリスム」の責任編集と執筆、また「遊びの百科全書」シリーズ『暗号通信』の監修と執筆などもしている。 文学・映画・演劇・漫画などの批評書としては、1979年に『宇宙模型としての書物』と『映画の一季節』を刊行し、前者では稲垣足穂や花田清輝、手塚治虫や萩尾望都など、後者ではSF映画や女性映画や日活ロマンポルノ、メリエスからブニュエルやオーソン・ウェルズの作品まで、また少女マンガやアニメーションなどもとりあげた。 1979年、パリ滞在中に瀧口修造の訃報に接し、この先人についての論考や回想を執筆しはじめる。中西夏之、岡崎和郎、池田龍雄、合田佐和子、赤瀬川原平、秋山祐徳太子、高梨豊、またパリで知りあった堀内誠一、平沢淑子らのアーティストと交流。 1980年代には『シュルレアリストたち 眼と不可思議』のほか、訳書『ダリ全集』『マッタ・形態学的神話I』などを刊行。その間に朝日新聞の「土曜の手帖」欄で匿名時評を展開し、1985年から3年間は同紙の書評委員をつとめる。 1987年夏に澁澤龍彦が没し、故人との共著『裸婦の中の裸婦』、作家論『澁澤龍彦考』『澁澤龍彦の時空』などを関連著作を刊行。出口裕弘、種村季弘、松山俊太郎の編集委員と『澁澤龍彦全集』『澁澤龍彦翻訳全集』刊行に向け、会合を重ね、多数の巻に書誌解題を執筆。別巻の年譜や旅の日記、談話録などを校訂・構成し、種々の関連書も手がけた。なお種村とは、1991年にバルトルシャイティス『アベラシオン』を共訳した。 世界・日本各地への旅行を重ね、新しい紀行文学の分野をひらく。1991年の『ヨーロッパの不思議な町』以来、『アジアの不思議な町』『日本の不思議な宿』『フランスの不思議な町』『地中海の不思議な島』など。また1995年の『ヨーロッパ 100の庭園』以来、『イタリア 庭園の旅』『フランス 庭園の旅』を刊行し、近年におよぶ。これらの紀行書に用いた写真を中心に、個展や講演会が四度ひらかれ、自著以外でも写真が掲載・使用されるようになる。また『反ユートピアの旅』や『都市の魔法』のようなエッセー集では、旅や都市のテーマを広い視野にひろげている。 シュルレアリスム関係では1996年に著した『シュルレアリスムとは何か』のほか、『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』の増補新訳決定版と、『ナジャ』の著者改訂版の新訳決定版を岩波文庫に収録。ブルトン晩年の大著『シュルレアリスムと絵画』『魔術的芸術』を監修し、後者は谷川渥、星埜守之、鈴木雅雄、永井敦子ら若い研究者たちと共訳する。さらに塚原史との共訳でゲールの『ダダ・シュルレアリスム』を刊行。2004年に全国5美術館を巡回した『マン・レイ「私は謎だ」』展では、展覧会監修とカタログの編集・執筆を手がけた。 その間、のちに備前焼の人間国宝となる伊勢崎惇、版画家の山下清澄、油彩画家の河原朝雄、オブジェ作家の桑原弘明、絵本作家の中江嘉夫と上野紀子の夫妻、パリに住む画家・オブジェ作家の大月雄二郎、日記作家の武田百合子らと出会い、2004年には彼らをふくむ多くのアーティストとの交友の結実でもあった批評と回想の書、『封印された星 瀧口修造と日本のアーティストたち』を上梓する。 2007年、「澁澤龍彦 没後20年記念展」を監修し、カタログを兼ねた『澁澤龍彦 幻想美術館』を刊行。こうした展覧会の折などによく講演をしたが、テーマは瀧口修造やマン・レイや澁澤龍彦のほか、シュルレアリスムの文学と美術、ミロ[要曖昧さ回避]やアルプから旅、都市、庭園まで、また岡本太郎、小泉八雲、植田正治、島崎藤村にも及んでいる。小泉八雲については小泉凡、佐野史郎とのシンポジウムや公開対談をし、2006年の植田正治写真集『童暦』のコロタイプ印刷による限定出版に際しては、別刷の冊子のテクスト「植田正治とメルヘン」を著した。 近年もアーティストとの出会いや交友の結果、さまざまな著作が生まれつつある。桑原弘明とは、アートスペース美蕾樹で写真とオブジェのコラボレーション展「パティオの快楽」を試みたのち、2005年にはスコープの写真を用いたメルヘン『スコープ少年の不思議な旅』を共作。翌年のメルヘン『扉の国のチコ』は、上野紀子の作画・中江嘉夫の構成により、瀧口修造にささげた絵本である。2008年には『旅の仲間 澁澤龍彦・堀内誠一往復書簡集』を編集し、もうひとりの「旅の仲間」として解説・脚注を書いた。 2009年、数年前に出会ったドイツ人の女性画家アンティエ・グメルスの画集『メルヘン・透視・錬金術 アンティエ・グメルスの旅』を著し、2010年には、コラージュ作家・パフォーマー上原誠一郎のレーゲンスブルク美術館での展覧会のために、カタログ序文を寄せた。さらに、高崎俊夫の編集によって、チャールズ・ロートンやフランジュ、フェリーニ、タルコフスキーやアンゲロプロス、グリモーやゼーマンなどを扱うエッセー集『映画 幻想の季節』が出ている。 2011年、定年退職[1]。 研究内容・業績専門領域は主に3つある。 これらに通底するのは、いずれも夢や驚異、綺想と繋がる、レアリスムを超えた「超現実」的な領域であることである。[4] 批評家、エッセイスト、講演家としての活動は、文学、美術、映画、写真、漫画、メルヘンのほか、旅、都市、庭園、温泉、食物などの領域にわたり、さまざまな著書がある。紀行作家、旅行写真家としては、日本全県と世界全州60数か国をめぐり、ヨーロッパ諸国、地中海、オリエント世界、アジアと日本各地についての著述や講演が多い。また庭園の紀行も、著書の一分野をなしている。それぞれに自身の撮影した写真を用い、その写真による個展も行なわれている。 近年では創作メルヘンも発表しており、専門・批評書やエッセー集のほか、展覧会の監修やカタログの編集執筆、また芸術、文化、地域などについての講演の仕事が増えている。 家族・親族
著作
図版・監修
共著
編著・解説
訳書
外部リンク
脚注
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