岩瀬正雄
岩瀬 正雄(いわせ まさお、1907年11月27日 - 2003年5月18日)は、愛知県豊橋市出身の詩人。 経歴愛知県豊橋市岩田町に生まれた[1]。名古屋電気学校を中退している。17歳から詩作を行い、1928年(昭和3年)に上京した[1]。高村光太郎の知偶を得て、1929年(昭和3年)に高村や草野心平らと新詩人会を結成[1]。1932年(昭和7年)に初の詩集『悲劇』を発表した[1]。『日本未来派』を経て『オルフェ』同人。1932年頃には豊橋市に帰郷して社会教育活動を始め、豊橋勤労少年会主事、豊橋連合青年団主事を務めたのちに、1945年(昭和20年)に豊橋市役所に就職した。1954年(昭和29年)に『炎天の楽器』で第3回中部日本詩人賞詩人賞を受賞[1]。市役所では社会教育課長を務め、1962年(昭和37年)に定年退職[1]。1983年に中日社会功労賞を受賞し、1992年に『わが罪 わが謝罪』で第17回地球賞を受賞。1994年に丸山薫賞が創設されると第1回から第5回まで運営委員会会長を務めた[1]。2000年に詩集『空』で第18回現代詩人賞を最高齢で受賞。中日詩人会会長。[2] 受賞編著書
脚注参考文献
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