岡田弘子
岡田 弘子(おかだ ひろこ、1925年〈大正14年〉1月3日[1] - 2020年〈令和2年〉5月28日[2])は、北海道函館市の市立函館図書館の元館長、石川啄木関連の資料の保存に努める団体「函館啄木会」の事務局長[3]、後に代表理事。父は市立函館図書館の初代館長の岡田健蔵。函館ゆかりの歌人である啄木の資料収集に尽力した父の跡を継ぎ、函館啄木会において、父から託された啄木関連の資料を守り、資料収集などに取り組んだ[4]。北海道函館市出身[5]。 経歴1925年(大正14年)、岡田健藏の長女として誕生した[1]。遺愛女学校、文部省図書館講習所(後の図書館情報大学)を経て[2]、1943年(昭和18年)から市立函館図書館に勤務した[4]。兄弟姉妹が皆死去しており、唯1人の父の実子であったことから[1]、父の遺志を継ぎ、父直伝の図書館教育により、司書として勤めた[6]。1956年(昭和31年)から函館啄木会に理事として関わり、父の親友でもあった歌人の宮崎郁雨らと共に、資料の管理、保存に努めた[2] 1976年(昭和51年)、市立図書館の館長に就任した[7]。1982年(昭和57年)に館長を退いたが[7]、退職後もボランティアとして、啄木の散逸資料の発掘、収集と管理をライフワークとした[8][9]。「啄木に関しては紙ひとつでも絶対になくすな」との父の教えに基づき、函館図書館内に設けられた啄木文庫の維持保存、啄木の資料を後世に残す活動に尽力した[3]。また、函館とフランスの交流に取り組む「函館日仏協会」に、1983年(昭和58年)に設立と同時に入会し、後に理事を務めた[10]。協会10周年記念事業として函館日仏交流史資料集の編集長を務め、フランスをはじめとする国際交流の普及と啓蒙に力を尽くした[10]。 2005年(平成17年)に、啄木会の代表理事に就任した[4]。2020年(令和2年)には新型コロナウイルスの影響で、図書館の休館が断続的に続いたが、啄木会には3月26日まで参加し、その活動を見守った[2]。啄木の命日である4月13日の法要は毎年欠かすことが無く[4]、2020年4月13日も、コロナ禍の中を法要に参列した[11]。 同2020年5月28日、朝食後に倒れ、函館市内の病院で、敗血症性ショックにより満95歳で急逝した[2][8]。 函館日独協会の若山直(五島軒社長)は、「現実にあったことの資料をきちんとした形で残す作業をされた。そのことを調べる人が出てきて初めて脚光を浴びる仕事で、文化を残す人だった[* 1]」「地元を愛し、さまざまな郷土史を掘り起こした[* 2]」と、その死を偲んだ[2][5]。親交のあった市中央図書館の丹羽秀人館長は「郷土資料の重要性を教わりました。図書館で生まれ、図書館で育ったような人でした[* 3]」「郷土資料を守る図書館の役割を体現した。日本の図書館界にとって大きなショック[* 2]」と語った[4][5]。同2020年6月4日には、没後の最初の啄木会の会合が開催され、甥の岡田一彦(健藏の長男の子[1])らが「最期まで『図書館人』として生きた[* 2]」「信念を貫いた人だった[* 4]」と偲んだ[12]。 受賞歴
脚注注釈出典
参考文献
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