岡本金幸
岡本 金幸(おかもと かねゆき、1933年11月4日 - 2006年9月19日)は、日本の静岡県出身のレーシングドライバー。愛称「キンコーさん」。自営業の為、肩書きが多い。喫茶店「ヘルメス」オーナー及びマスター、「チームオカモトレーシング」代表、「レーシングカーコンストラクター・オカモト」代表及び設計製作者、アマチュアレーシングドライバー。身長153cm。 経歴ジムカーナからモータースポーツの世界に入り、1967年、富士チャンピオンレース前期第1戦でレースデビュー。その後、1971年に開幕した富士グランチャンピオンレース(富士GC)に参戦。1989年に閉幕するまでの19年間で60戦近く出場し、GCにはなくてはならない名物ドライバーとして名を馳せる。 岡本は、生涯プライベートドライバーとしてGCに参戦していた。当時GCに参戦していたドライバーのほとんどは、由良拓也率いるムーンクラフト製のGC用カウルをマーチ製のF2シャーシに装着して参戦していたが、岡本だけは自作のマシンで戦っていた。カウルも自作、シャーシも自作、エンジンも自らチューニングして自らがステアリングを握ってドライブしていた。 自作のカウルはストレートスピードがムーンクラフト製より速く、あの星野一義や高橋国光さえも追いつくことができなかったという。 1983年5月、GC練習走行中に発生した佐藤文康が死亡した事故では、最初にマシンを停めて救出に向かったのは岡本だった。佐藤の後方を走っており一部始終を見ていた岡本は、「あの事故の後にレースをやるのは嫌だった」と話していたという。 レーシングカーのバックランプに日本で初めて発光ダイオード(LED)を採用したのも岡本である。 レーサーとして自動車メーカー等から契約金をもらっている訳ではないため、レースビジネス面からみるとプロレーサーではないアマチュアレーサーであったが、1987年に新潟県の育毛メーカー『ヘアドクター』のイメージキャラクターに起用された。岡本の知名度と壮年期且つスキンヘッドであり、企業の求めるキャラクターと合致した為の起用だった。同社は岡本個人及びオカモトレーシングのメインスポンサーとして支援を決め、1988年から1994年まで「ヘアドクターカラー」で富士グラチャンなどのレースに参戦した。 1994年には60歳にして第1回十勝24時間レースに参戦。日本人の現役最年長ドライバーの参戦記録を作った。 事実上の引退後も引き続き喫茶店を経営しながら、依頼を受ければレーシングカーや一般車のメンテナンスもしていた。尚、72歳で亡くなる直前まで「自分から引退するとは一言も言ってないから、引退したつもりはないんだよ。いつかまたレースをやりたいと思ってるんだ。」と語っていた。気持ちの中では、生涯レーシングドライバーとして現役であった。 参考文献関連項目オカモトレーシング http://homepage3.nifty.com/tor_shizuoka/ |
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