岐阜市立鶉小学校(ぎふしりつ うずらしょうがっこう)は、岐阜県岐阜市中鶉にある小学校。
沿革
鶉小学校の沿革史[1][2]。
- 1873年(明治6年)7月10日 - 鶉村に研学義校が開校。深広寺[注釈 1]を仮校舎とする。
- 1876年(明治9年)1月 - 公立鶉学校に改称する。現在の中鶉4丁目に校舎が完成し、移転。
- 1890年(明治23年) - 鶉尋常小学校に改称する。
- 1891年(明治24年)10月28日 - 濃尾地震により校舎が倒壊。
- 1892年(明治25年)2月18日 - 仮校舎が完成。
- 1893年(明治26年)10月 - 校舎を新築する。
- 1901年(明治34年)9月30日 - 校舎(木造2階建)を新築する。
- 1927年(昭和2年)
- 7月 - 校舎(明治34年完成)を移築し、運動場を造る。
- 12月 - 校舎(明治26年完成)を取り壊し、跡地に新校舎が完成。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 鶉国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 鶉村立鶉小学校に改称する。
- 1950年(昭和25年)8月20日 - 鶉村が岐阜市に編入される。同時に岐阜市立鶉小学校に改称する。
- 1953年(昭和28年) - 校舎を新築する。
- 1966年(昭和41年)12月 - 校舎(鉄筋コンクリート造3階建)を新築する。
- 1967年(昭和42年)12月 - 校舎を増築する。
- 1971年(昭和46年)3月 - 校舎を増築する。
- 1972年(昭和47年)3月 - 校舎を増築する。校歌を制定。(作詞:平光善久、作曲:土屋寛恒、編曲:土屋嘉瑞明)
- 1974年(昭和49年)5月27日 - 新運動場が完成。
- 1975年(昭和50年)6月 - 校舎を増築する。
- 1979年(昭和54年)2月 - 体育館が完成。
- 1987年(昭和62年)3月 - 南舎管理棟が完成。
通学区域
- 鶉、北鶉1-5丁目、中鶉1-7丁目、西鶉1-6丁目、東鶉1-7丁目、南鶉1-7丁目[3]。
進学先中学校
交通機関
- 茜部三田洞線(JR岐阜駅バスターミナルから下佐波(E70)・カラフルタウン(E76)・もえぎの里(E72)・高桑(E71))「鶉小学校前」より徒歩約1分。
著名な出身者
周辺施設
脚注
出典
- ^ 鶉小学校の沿革史 - ウェイバックマシン(2016年8月22日アーカイブ分)
- ^ “岐阜市立鶉小学校について”. 岐阜市立鶉小学校. 2021年8月17日閲覧。
- ^ “岐阜市立小・中学校及び高等学校通学区域に関する規則”. 岐阜市教育委員会. 2021年8月17日閲覧。
注釈
- ^ 現在の岐阜県岐阜市中鶉4丁目107にある寺院。
参考文献
- 鶉郷土史(鶉郷土史研究会 1996年) P.190 - 216
関連項目
外部リンク