山城隆一

山城隆一

山城 隆一(やましろ りゅういち、1920年大正9年〉11月10日 - 1997年平成9年〉3月24日)は、日本グラフィックデザイナーである[1][2]。本姓は三宅[1][2]大阪府箕面市出身[2]

経歴・人物

大阪市立工芸学校(現在の大阪市立工芸高等学校)卒業後[1][2]阪急百貨店に入社する[1][2]。後に退社し、1953年昭和28年)に高島屋に入社するも後に独立してフリーランスとしての活動を始めた[2]。この頃にデザイナーとしての活動を初め、主に雑誌の表紙やポスターのデザインを担当し数多くの受賞歴を持った[1][2]

1960年(昭和35年)には同じデザイナーで親交のあった原弘亀倉雄策らと共に日本デザインセンターの設立に携わる[1][2]。山城の作品は国際的にも知られており[2]チェコスロバキアで開催されたビエンナーレにて自身の作品が出品されノミネートされた[2]

受賞歴

主な作品

脚注

注釈

  1. ^ 本年に設立された日本デザインセンターとしての受賞。

出典

  1. ^ a b c d e f 山城隆一”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)株式会社DIGITALIO. 2023年2月6日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 山城 隆一”. 20世紀日本人名事典(日外アソシエーツ)株式会社DIGITALIO. 2023年2月6日閲覧。

外部リンク