山内氏固
山内 氏固(やまうち うじかた)は、江戸時代後期の土佐藩の重臣。10代宿毛領主。 略歴寛政9年(1797年)、8代宿毛領主・山内保氏の五男として宿毛にて誕生した。 文化8年(1811年)、兄・氏睦の死去により家督と知行6800石を相続し、宿毛10代領主となる。土佐藩奉行職として山内豊資、豊熈、豊惇、豊信の4人の藩主に仕えた。天保2年(1831年)、郷学校・講授館[1]を設置する。三宅大蔵を講授役として登用し、家臣子弟の教育、人材育成に当たらせた。 天保9年(1838年)、屋敷が幕府巡見使平岩七之助の宿舎となり、家老の孕石小左衛門以下、藩を挙げて供応に努めた。嘉永2年(1849年)、功績により500石の加増を受ける。嘉永7年(1854年)、安政南海地震で大きな被害を受けた領内の復旧に当たる。安政3年(1856年)、隠居して家督を嫡男の氏理に譲る。 系譜脚注出典
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