山元保美
山元 保美(やまもと ともみ、1976年7月18日 - )は、日本の元女子プロ野球選手。福岡市博多区出身。 経歴生まれつき両耳に聴覚障害を抱え、補聴器を付けながら小学校4年で軟式野球を始める。 中学から九州女子短期大学までソフトボール部で活躍するが、短大卒業後は発足したばかりのアメリカ・フロリダの女子プロ野球リーグに入団。しかしリーグはわずか1ヶ月で休止となったため帰国するが、ボストンでセミプロリーグが創設されると再び渡米し、1999年と2001年の2シーズンプレーした。 2002年に地元の社会人野球のクラブチーム・DTJ福岡に所属し、都市対抗野球大会の福岡1次予選ではマウンドにも立った(大分ハーキュリーズ戦で先発し自責点6で1死を取っただけで降板)。 2003年に佐川急便に就職。女子軟式野球チーム福岡ファイアーサンズを設立し、選手兼監督としてプレーした。 2009年に日本女子プロ野球機構による第1回合同トライアウトを受験し合格した。合格者では最年長で唯一の30代。同年12月のドラフト会議にて投手部門4巡目で京都アストドリームスへの加入が決定した。 2010年4月23日、開幕戦で京都の2番手として初登板した[1]。その後、10月22日の最終戦をもって引退した[2]。 詳細情報年度別投手成績
年度別打撃成績
背番号
脚注
関連項目
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