山之内幸夫山之内 幸夫(やまのうち ゆきお、1946年〈昭和21年〉- )は、日本の元弁護士。YouTuber。元大阪弁護士会所属。山口組の顧問弁護士だったことで知られる。 人物1946年、香川県小豆郡小豆島に生まれる。実家は小さな魚屋を営んでおりさほど裕福ではなかった。また、母親は読み書きもできなかったが、昼は魚屋、夜はふぐ鍋の屋台を切り盛りして生活費や学費を捻出していた。2歳のころより、大阪で幼少時代を過ごす。大阪府立成城工業高等学校卒業。 1970年、早稲田大学法学部を卒業。1972年、司法試験に合格。司法修習を終え、1975年、大阪弁護士会に登録[1]。 損害保険会社の顧問弁護士事務所に就職しており、交通事故関係の事件を主に担っていたことから、暴力団と当初は敵対する関係であったが、そのうち、1976年頃より暴力団関係者から逆に弁護を依頼されることが多くなる。1984年、山口組の顧問弁護士に同組幹部・小田秀臣の推薦で就任する。[1][2] 1987年、大阪弁護士会より、「暴力団の顧問は弁護士の品位を害する」という理由で懲戒処分を受ける[1]。1988年、徳間書店で『悲しきヒットマン』を刊行、翌89年に東映にて映画化される[3]。1990年公開の映画『激動の1750日』にも関わった。 1991年2月、恐喝罪で逮捕[4]。1995年3月23日にて、大阪地方裁判所は無罪判決を下すが、検察側は控訴する[4]。1997年2月25日、大阪高等裁判所で控訴棄却となり、同年3月13日無罪が確定する[4]。この際、150人の弁護団が結成される。その後、一時、相場師として生計を立てようとするが、相場の下落で失敗。 その後も、著作活動をしつつ、弁護士活動を続ける[2]。 弁護士資格を喪失2013年9月9日、大阪府摂津市で事業をめぐって紛争中だった会社の倉庫の扉を開けるために、依頼人の男をそそのかして壁を破壊させた建造物損壊罪教唆の嫌疑で2014年4月に在宅起訴された。2015年1月、大阪地方裁判所は懲役10ヶ月執行猶予2年の有罪判決を下し、2015年11月19日に最高裁判所で確定した。この判決により弁護士資格を喪失。現在は、著作活動をしながら大阪府内で暮らしている。 2022年7月公式YouTubeチャンネルを開設した[5]。 その他
主な著作
出演
原作・原案・監修
脚注
外部リンク
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