山下 若松(やました わかまつ、1891年(明治24年)2月6日 - 没年不明)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚。屏東市長、台中市長。旧姓は川上。
経歴・人物
川上勝右衛門の三男として岡山県岡山市に生まれ、のち山下全増の養子となる。岡山県商業学校、岡山県立高等簿記学校を経て、1912年に関西大学商業学科第2学年を修了する。この間、神戸税務監督局に勤めた。
台北庁税務吏を皮切りに、専売局書記、府秘書課統計主務を経て、1934年(昭和9年)5月、地方理事官に進み、基隆市助役に就任。ついで1937年(昭和12年)11月、台北州文山郡守に転じ、1939年(昭和14年)4月、新竹州苗栗郡守、1940年(昭和15年)6月、台南州新豊郡守を歴任したのち、1941年(昭和16年)6月、屏東市長に就任し、さらに1943年(昭和18年)1月には台中市長となった。
脚注
参考文献
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市尹 |
- 伊藤完二1933.12.20-1936.10.20
- 宗藤大陸1936.10.20-1937.11.30
- 高木秀雄1937.11.30-1939.3.10
- 谷義廉1939.3.10-1939.10.18
- 大関善雄1939.10.18-1940.10.28
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市長 |
- 大関善雄1940.10.28-1941.6.6
- 山下若松1941.6.6-1943.1.22
- 神田利吉1943.1.22-1945.10.25
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カテゴリ |
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市尹 |
- 金子恵教1920.9.1-1923.2.1
- 川中子安治郎1923.2.1-1924.12.23
- 遠藤所六1924.12.23-1928.9.18
- 小島仁三郎1928.9.18-1930.3.29
- 名和仁一1930.3.29-1932.4.21
- 古沢勝之1932.4.21-1933.10.3
- 曽根原弘1933.10.3-1935.9.2
- 藤田淳教1935.9.2-1939.4.21
- 安詮院貞熊1939.4.21-1940.6.27
- 藤田正義1940.6.27-1940.10.28
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市長 |
- 藤田正義1940.10.28-1943.1.22
- 山下若松1943.1.22-1944.12.15
- 佐藤武1944.12.15-1945.10.25
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