台湾総督府専売局(たいわんそうとくふせんばいきょく、旧字体:臺灣總督府專賣局)は、台湾総督府に置かれた外局(台湾総督府所属官署)。
阿片・食塩・樟脳・樟脳油・煙草・酒類などの専売事務を行う。
沿革
1901年(明治34年)6月1日、台湾総督府所属官署として台湾総督府専売局が置かれた[1]。これは、阿片を扱う台湾総督府製薬所[注 1]、食塩を扱う台湾塩務局[注 2]、樟脳を扱う台湾樟脳局[注 3]を統合したものである。当初、専売局長は民政長官が兼務したが、1902年(明治35年)11月の官制改正により兼務規定が削除された[2]。
その後、取扱品目について、1905年(明治38年)4月1日に煙草が追加され[3]、さらに、1922年(大正11年)4月1日に酒類が加えられた[4]。太平洋戦争を迎え、取扱品目は、1942年(昭和17年)6月24日に燐寸(マッチ)が加わり[5]、1943年(昭和18年)4月26日に石油[6]、1944年(昭和19年)9月15日に苦汁(にがり)が追加された[7]。
機構
- 本局
1940年(昭和15年)7月1日現在[8]。
歴代局長
氏名
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在任期間
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備考
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後藤新平
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1901年6月1日 - 1902年11月18日
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民政長官兼務
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祝辰巳
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1902年11月18日 - 1904年7月9日
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兼務
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中村是公
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1904年7月9日 - 1905年3月31日
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兼務
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中村是公
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1905年3月31日 - 1906年4月14日
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宮尾舜治
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1906年4月14日 - 1907年3月31日
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宮尾舜治
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1907年3月31日 - 1910年7月20日
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兼務
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増沢有
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1910年7月20日 - 1912年8月2日
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心得
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増沢有
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1912年8月2日 - 1913年6月30日
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山脇春樹
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1913年6月30日 - 1914年5月5日
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高雄晋
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1914年5月5日 - 1914年6月10日
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事務取扱
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賀来佐賀太郎
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1914年6月10日 - 1921年7月11日
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賀来佐賀太郎
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1921年7月11日 - 1921年10月8日
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心得
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池田幸甚
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1921年10月8日 - 1923年12月8日
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吉岡荒造
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1923年12月8日 - 1924年12月23日
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宇賀四郎
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1924年12月23日 - 1928年7月21日
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常吉徳寿
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1928年7月21日 - 1929年8月10日
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池田蔵六
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1929年8月10日 - 1930年12月9日
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中瀬拙夫
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1930年12月9日 - 1932年3月15日
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田端幸三郎
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1932年3月15日 - 1936年10月16日
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今川淵
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1936年10月16日 - 1939年12月28日
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三輪幸助
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1939年12月28日 - 1941年5月14日
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木原円次
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1941年5月14日 - 1942年7月3日
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佐治孝徳
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1942年7月3日 - 1944年8月26日
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中平昌
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1944年8月26日 -
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脚注
注釈
- ^ 台湾総督府製薬所官制(明治29年3月31日勅令第98号)により、1896年4月1日に設置。
- ^ 台湾塩務局官制(明治32年3月14日勅令第51号)により、1899年3月14日に設置。
- ^ 台湾樟脳局官制(明治32年6月12日勅令第246号)により、1899年6月12日に設置。
出典
- ^ 台湾総督府専売局官制(明治34年5月24日勅令第116号)
- ^ 明治35年11月18日勅令第258号。
- ^ 官制改正(明治38年3月29日勅令第89号)
- ^ 官制改正(大正11年3月31日勅令第155号)
- ^ 官制改正(昭和17年6月24日勅令第589号)
- ^ 官制改正(昭和18年4月26日勅令第394号)
- ^ 官制改正(昭和19年9月15日勅令第550号)
- ^ 参考文献『植民地官僚の政治史』647頁。
参考文献
- 岡本真希子『植民地官僚の政治史 - 朝鮮・台湾総督府と帝国日本』三元社、2008年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
関連項目