谷 義廉(たに よしかど、1887年(明治20年)9月8日 - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の台湾総督府官僚。屏東市尹。
経歴・人物
谷審の長男として福岡県糸島郡に生まれる。福岡県立中学修猷館を経て、1909年(明治42年)台湾総督府国語学校師範部甲科を卒業する。嘉義公学校教諭を振出しに、蕃寮公学校長、店仔口公学校長を経て、1920年(大正9年)台南州郡視学として新営郡に転じる。ついで東石郡庶務課長、斗六郡庶務課長、嘉義郡庶務課長、台南州地方係長を経て、1932年(昭和7年)4月、地方理事官に進み、高雄州東港郡守に就任する。
のち1936年(昭和11年)12月に新竹州桃園郡守を経て、1939年(昭和14年)1月、屏東市尹となり、同年8月に退官し、愛国婦人会台湾支部主事に就任した。ほか高雄州青果同業組合副組長などを務めた。
脚注
参考文献
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市尹 |
- 伊藤完二1933.12.20-1936.10.20
- 宗藤大陸1936.10.20-1937.11.30
- 高木秀雄1937.11.30-1939.3.10
- 谷義廉1939.3.10-1939.10.18
- 大関善雄1939.10.18-1940.10.28
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市長 |
- 大関善雄1940.10.28-1941.6.6
- 山下若松1941.6.6-1943.1.22
- 神田利吉1943.1.22-1945.10.25
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