屋島町
人口
歴史町の中央に位置する山岳「屋島」の歴史は古く、天智6年(667年)天智天皇が築いた古代山城「屋嶋城」や天平勝宝6年(754年)鑑真によって開創した屋島寺などが残っている。 麓の檀ノ浦(屋島東町)は1185年3月22日(旧暦:元暦2年/寿永4年2月19日)、源平合戦(治承・寿永の乱)における屋島の戦いの舞台となった有名な古戦場で、那須与一が扇の的を射抜いた話は後に『平家物語』でも描かれている。 近世〜明治時代にかけては地主の柏原家により戦前まで潟元など町の大部分を占めていた塩田が造られていった。 行政区域としては1890年(明治23年)2月15日、町村制施行により東潟元村、西潟元村、屋島村を併せて山田郡潟元村(かたもとむら)となり、現在の屋島地区としての区域が確定した。この名称は30年後の1920年(大正9年)1月1日に改称して屋島村となり、さらに13年後の1933年(昭和8年)4月1日には町制を施行し屋島町となる。この間1899年(明治32年)4月1日には山田郡が三木郡と合併し、木田郡となっている。 町村制施行による潟元村成立から50年後の1940年(昭和15年)2月11日、屋島町は周辺自治体とともに高松市と合併し自治体としての屋島町は消滅した。 年表
高松市編入以後は「屋島 (高松市)」を参照 脚注注釈出典
参考文献
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