小野寺賢人
小野寺 賢人(おのでら けんと、1998年7月13日 - )は、宮城県黒川郡大和町出身[1]の日本のプロ野球選手(投手)[2]。 経歴アマチュア時代まで小学2年生の時に八幡原スポーツ少年団で野球を始め、中学時代は宮城黒川リトルシニアに所属した。聖和学園高等学校では3年夏に背番号10でベンチ入りしたが、仙台育英学園高等学校に3回戦で敗れた[3]。 聖和学園高等学校から星槎道都大学に進む[2]。2年からベンチ入りし、3年春にはチームの抑えを務めた[3]。大学時代には札幌学生野球連盟1部リーグで複数回の優勝を経験した[4]。大学当時について小野寺自身は「星槎道都大2年の時は、リリーフで出て、四球・四球・ホームランみたいな状態でした。3年で先発して1回5失点KOという試合があって、そこからはもう何をやってもだめ。地獄みたいな時間でした」と振り返っている[5]。 在学中に社会人野球チームのセレクションを5社受けるがすべて不合格だったため、2021年の大学卒業後は北海道の一般企業に就職してクラブチームのTRANSYSに加入した[3][6]。しかし、社業のために十分に野球ができない環境に悩み、就職から2か月後に勤務先を退社して、TRANSYSの助監督から話を通す形で、6月8日にベースボール・チャレンジ・リーグ(ルートインBCリーグ)の埼玉武蔵ヒートベアーズに入団した[6][7]。 BCL・埼玉時代途中加入となった初年度は、中継ぎを中心に14試合に登板して1勝0敗、防御率0.90の成績だった[8]。埼玉が出場したリーグプレーオフでは、準決勝第2戦(対オセアン滋賀ブラックス)に先発、7回を投げて勝利投手となった[8]。 2022年はすべて先発で起用され、13試合に登板して5勝1敗、防御率1.65の成績で[8]、南地区の最優秀防御率を獲得した(リーグ全体でもトップの成績)[9]。このシーズンは与四死球が7つだけで無四球完投も2度記録するなど、制球力が評価された[10]。このため、NPBドラフト会議での指名候補にも挙げられ[10]、NPB球団のテストも受けたが[5]、指名はなかった[11]。シーズン終了後、ベストナインに選出されている[12]。 翌シーズンを前に、背番号を従来の21番から11番に変更した[13]。また個人トレーニングを受けて球速を2km/h 引き上げた[5]。 2023年も先発中心(シーズン後半にはそれ以外の登板もあり)で、10勝2敗1セーブ、防御率3.19の成績を挙げ[8]、地区最多勝利と地区最多奪三振のタイトルを獲得した(奪三振はリーグ全体でもトップ)[14]。先発登板した6月7日の対福島レッドホープス戦では、試合途中に9番の打席に入り、2打数1安打の記録を残している[15]。このシーズンは埼玉が進出したリーグチャンピオンシップでは、4試合に登板(うち先発3試合)して1勝1セーブを記録した[8]。公式戦・リーグチャンピオンシップのいずれにおいても、それぞれの優勝決定戦で抑えで登板し[16][17]、「胴上げ投手」となった(いずれも、それぞれ唯一のセーブを記録[8])。グランドチャンピオンシップでは決勝の対火の国サラマンダーズ戦に先発したが、7回を投げて4失点で敗戦投手となった[18]。シーズン終了後にリーグの投手部門MVPに選出された[19]。しかし、前年に続いてNPBドラフト会議での指名はなく[20]、この年はNPB球団からの調査書自体届いていなかったという[21]。 11月15日、「海外リーグ挑戦の為」という理由で埼玉を自由契約により退団した[22]。 台鋼時代2023年11月から12月にかけて開催されたアジア・ウィンター・リーグに出場する中華職業棒球大聯盟 (CPBL)の台鋼ホークスに「テスト外国人」として入団、4試合に登板して、特にNPB REDとの決勝戦では完投目前の8回2/3を投げて1失点の好投を見せてチームを優勝に導いた[23]。この入団は、台鋼のコーチだった横田久則やNPB球団スカウトから、当時日本の独立リーグで選手を探していた台鋼側に話がつながってのものだった[21]。「テスト外国人」として参加した選手は小野寺以外にも3人おり、正式に契約できるのは多くても1人という状況の中、4試合通算で2勝0敗、防御率0.92という安定した成績により[21]、決勝戦終了後に2024年シーズンの契約が決定した[23][21]。背番号は、ウインターリーグ時と同じ4[24]。 2024年のオープン戦2試合に先発登板し、防御率1.80の内容で開幕一軍入りを果たした[21]。4月4日、開幕2戦目の中信兄弟戦に公式戦初先発登板したが、5回途中5失点で降板となり、敗戦投手になった[25]。10日の楽天モンキーズ戦は、ともに前年までBCリーグ球団でプレーした鈴木駿輔との投げ合いになり、6回を投げ2失点(自責1)の好投を見せた[26]が足が攣ったことで降板し[27]、勝ち負けは付かなかった[26]。翌日に二軍降格となった[28]。4月27日に再び一軍登録された[28]。同日、対楽天モンキーズ戦に先発、7回1失点の好投を見せたが[29]、味方の援護がなく敗戦投手となった[30]。5月11日の対味全ドラゴンズ戦に先発し、7回を1安打無失点に抑え、CPBLでの初勝利を挙げた[31][32]。6月までの間に9試合に登板して2勝4敗・防御率2.31という成績を上げていたが、右肘靱帯を断裂していることが判明したと7月1日に報じられた[33]。小野寺自身も翌日自身のX(旧Twitter)で報道を引いて事実と認め「今シーズンはおそらく登板できなくなりました。後半戦の戦力になれず悔しいです。」と綴る一方、リリースせずに治療に専念させてくれる球団に感謝の意を示した[34]。 選手としての特徴上背がなく、最高球速は148km/hで[35]平均球速はさほど速くないが、制球力に絶対の自信を持っており、それを武器にゲームメイク力が高い[36]。変化球はカットボールに自信を持つ[35]。 詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
独立リーグでの投手成績出典は「一球速報.com」[8]。
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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