小松清
小松 清(こまつ きよし、1900年(明治33年)6月13日 - 1962年(昭和37年)6月5日)は、日本の文芸評論家・フランス文学者。[1][2] ミュッセの翻訳もある音楽評論家の小松清(1899年 - 1975年)は同名の別人である [3][4] 来歴1921年(大正10年)、フランスに渡る。帰国後、マルロー、ジッドなどを紹介した。 1934年(昭和9年)、行動主義文学[5]論争に加わる。 1935年(昭和10年)、文化擁護国際作家会議の報告書『文化の擁護』を編纂。 1937年(昭和12年)「報知新聞」特派員として再度渡仏。 1939年(昭和14年)、日仏同志会が発行していたフランス語の月刊情報誌『FRANCE-JAPON』の編集執筆に加わり、日本の文化的側面を広く紹介した。 1940年(昭和15年)帰国し、その後仏領インドシナに滞在した。 1946年(昭和21年)帰国、日本ペンクラブの再建に努め、会長川端康成の片腕として国際交流に活躍。 妻の小松妙子(1912年11月4日 - 1995年10月18日)は料理研究家で『チーズ手帖 やさしく作る本場の味・チーズ料理・50』(ブックマン社, 1975)のほか、フランソワ・ルリ『フランス料理』(文庫クセジュ)白水社, 1967)の翻訳がある。息子の小松越雄は脚本家・演出家として活動している[6]。 著書
編著
翻訳
他者による伝記
脚注
関連項目 |