小幡真一郎
小幡 真一郎(おばた しんいちろう、1952年7月21日 - )は、京都府京都市出身の元サッカー選手、サッカー審判員(元国際主審)。 1993年5月15日に行われた、Jリーグオープニングマッチ・ヴェルディ川崎対横浜マリノスの主審を務めたことで知られる。 来歴京都教育大学教育学部附属高校から東京教育大学を卒業後、母校である京都教育大学教育学部附属高校で教鞭を執りながら京都サンガF.C.の前身である京都紫光クラブで選手としてプレーし、29歳で現役引退[1]。引退後は高校サッカー部の指導者としての道を歩むつもりであったが、1988年に第43回国民体育大会が行われることになり、開催地として審判員を確保する必要に迫られ、先輩の誘いを受けて審判員資格の取得を目指すことになる[1]。 1985年に1級審判員の資格を取得し、1992年には国際サッカー連盟 (FIFA) 登録の国際主審にも任命され、広島で開催されたAFCアジアカップ1992の開幕戦(グループB)・サウジアラビア対中国の試合などを担当した[2]。 1993年の日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)開幕に際し、オープニングマッチの主審を任命するにあたり、FIFAワールドカップでの主審経験もある高田静夫が海外での国際試合を担当するためスケジュールが合わなかったこともあり、当時国際審判員で最も若かった小幡に白羽の矢が立てられた[3]。本人は何度も固辞したものの、最終的に当日の試合担当を受諾。試合直前まで打ち合わせの言葉が頭に残らないほど緊張していたものの、キックオフ前のカウントダウンで落ち着きを取り戻し、「ゲームの流れを止めないようにすること」を意識してレフェリングに集中し、イエローカード3枚を提示するものの、無難にこなした。 2001年まで1級審判員としての活動を続け、翌年からは日本サッカー協会 (JFA) の1級審判インストラクターを務め、後進の指導に当たった。65歳となった2017年に定年を迎えたが、嘱託職としてJFAに引き続き在籍し、1級審判インストラクターを務める傍ら2018年からは筑波大学大学院にて「U-18の3級審判」をテーマに修士論文の研究を行っているという[4]。 経歴選手歴
審判歴
記録
エピソード
著書
脚注
参考資料
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