小島晋治
小島 晋治(こじま しんじ、1928年2月16日 - 2017年3月6日[1])は、日本の中国近代史学者。 経歴1928年、茨城県古河市で生まれた[2]。東京大学文学部東洋史学科で学び、1952年に卒業。東京大学大学院にすすみ、博士課程を単位取得後退学。 1967年、横浜市立大学助教授に着任。1973年、東京大学教養学部助教授に転じた。1977年に東京大学教養学部教授に昇進。1988年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は同年より神奈川大学外国語学部教授をつとめ(1997年からは神奈川大学外国語学部特任教授)、1999年に退職した。 学界では、1988年から1992年まで現代中国学会(現日本現代中国学会代表幹事をつとめ、1990年からは中国研究所所長をつとめた。2017年3月6日に死去[3]。 研究内容・業績専門は中国近代史。太平天国の乱などに関する著作がある。
ソビエト連邦の機密文書から「アメリカとの冷戦において勝機を得ようとしたソ連が承認し、北朝鮮と中国が共同で実行した国際紛争[4]」であることが明らかになっている朝鮮戦争を、「新中国成立まもなく起こった朝鮮戦争への介入は、中国にとっては、いわば余儀なくされたものであり、それによって米ソの直接対決、すなわち第三次世界大戦を回避することに寄与した」と礼賛する発言を述べている[5]。著書『中国近現代史』16刷版(1993年)では、「1982年7月の日本の文部省の『教科書検定問題』(中国『侵略』という表現を改めさせたこと)」と書いているが[6]、「華北へ侵略」を「華北に進出」と書き換えた」というのは誤報であった。これを知らずに書いていたならば、小島の調査不足である。知っていて書いたのならば、確信犯である。ちなみに中華人民共和国によるチベット侵攻を、チベットおよび西側諸国は「侵略」とし[7]、中国政府は「平和解放」と呼ぶが[8]、小島は「人民解放軍、チベットのラサに進駐」と記す[9]。 著作
参考資料
脚注
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