小島保彦小島 保彦(こじま やすひこ、1928年 - )は日本のウイルス学者、NPO法人インターフェロン・ハーブ研究所所長、インターフェロン発見者の一人。 略歴東京理科大学理学部化学科卒。東京大学伝染病研究所[1]第一ウイルス研究部に所属。1964年、東京大学大学院生物系で医学博士号を取得。1967年、北里研究所研究部に所属。1981年、同研究部部長・人事部長兼務。1988年、山之内製薬健康科学研究所常任顧問。現在は、NPO法人インターフェロン・ハーブ研究所所長、日本インターフェロン・サイトカイン学会名誉会員。文部科学省の発表した「20世紀における科学技術の足跡」[2]にて、各ノーベル賞受賞内容などと共に功績を称えられている。 業績インターフェロンの発見小島は長野泰一[3]とともに東京大学伝染病研究所で種痘を不活化したワクチン(天然痘不活性ワクチン)を研究している過程で、本来効果があるべきタンパク質の上澄み液のなかに、タンパク質以上に抗ウイルス効果がありウイルス感染の阻害作用を持つ可溶性因子が存在することを発見する。 1954年、同因子についての世界初の報告を、長野との連名で日本ウイルス学会総会で行なう。 1955年、学会当日の論旨と討論が、学会誌「VIRUS」に「不活性牛痘ウイルスの発癌阻止作用」という題で掲載される。 1957年、イギリスのアイザックスとリンデマン(Jean Lindenmann)がこの因子をインターフェロンと名づける。この医学史上に残る実績から、小島はインターフェロン発見者の一人として世界的に認められており、権威としても名高い。 インターフェロンには抗ウイルス作用があり、現在、肝炎や癌の治療に応用されている。 インターフェロン・インデューサーの発見小島は「ヒトは食事で免疫力を高められる。またその方が自然で安全性が高い」ということを信念として、新薬の研究を重ねる。 小島が特に注目したのは、中国の薬膳料理だった。 小島は漢方生薬や食品素材200種類以上をスクリーニングし、インターフェロン・インデューサー(interferon inducer)を数十種類発見する。 インターフェロン・インデューサーは、体内でのインターフェロン誘導因子・誘発物質。体内で細胞からインターフェロンを出させると同時にウイルス分解酵素も産生するため幅広くウイルスの増殖を抑制する。C型肝炎や癌の薬としてのインターフェロン製剤とは異なり、副作用がない。ウイルスを駆逐するのではなく増殖を抑制し発症させないという予防医療の働きをする。 インフルエンザの予防にも効果が期待されている。 永野正史(内科医)は、予防注射に加えて気軽に「食べるワクチン」としてこのインデューサーに期待している。 北里研究所で、漢方薬の成分からインターフェロン・インデューサーを開発することに成功した。 小島は国際的な特許を30件以上取得している。 受賞
著書
脚注
関連項目外部リンク
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