対馬市立大船越小学校(つしましりつ おおふなこししょうがっこう, Tsushima City Ofunakoshi Elementary School)は長崎県対馬市美津島町[1]大船越にある公立小学校。
概要
- 歴史
- 1874年(明治7年)に開校した「第五大学区第四中学区[2]第二十六番小学大船越学校」を前身とする。2009年(平成21年)に創立135周年を迎えた。
- 校区
- 住所表記で対馬市美津島町の後に「大船越、久須保(くすぼ)、女護島(めごしま)、玉調(おおつき)、犬吠(いぬぼえ)、緒方(おかた)、島山(しまやま)」の続く地域。中学校区は対馬市立大船越中学校[3]。
沿革
- 1874年(明治7年)6月1日 -「第五大学区第四中学区(大船越学区)二十六番小学大船越学校」の開校が文部省に正式認可。
- 当初、士族の阿比留傳蔵が教授にあたる。下在所236番地の「平間屋敷[4]」と呼ばれる奥(浜崎)に校舎を設置。
- 1884年(明治17年)10月1日 - 「鶏知学区公立中等鶏知小学校下等大船越分校」に改称。
- 1887年(明治20年)- 小学校令により、鶏知学区から鴨居瀬学区が分離され、「鴨居瀬学区簡易鴨居瀬小学校簡易大船越分教場」となる。
- 1891年(明治24年)- 「鴨居瀬学区尋常鴨居瀬小学校大船越分教場」に改称。
- 1892年(明治25年)- 尋常鴨居瀬小学校から分離し、「尋常大船越小学校」に改称。久須保分教場を設置。
- 1893年(明治26年)- 「大船越尋常小学校」に改称(「尋常」の位置が変わる)。
- 1897年(明治30年)- 下在所346番地の台上に校舎一棟二教室が完成。
- 1899年(明治32年)- 高等科を併置し、「大船越尋常高等小学校」と改称(尋常科4年・高等科2年)。
- 1901年(明治34年)9月 - 島山尋常小学校を統合し、島山分教場とする。
- 1908年(明治41年)4月1日
- 島嶼町村制施行により、下県郡船越村が発足。これに伴い、船越村立の小学校となる。
- 義務教育期間が尋常科4年から尋常科6年に延長されたため、尋常科5・6年を新設。
- 1909年(明治42年)4月 - 鴨居瀬尋常小学校から緒方分教場が移管される。
- 1921年(大正10年)4月 - 大船越農業補習学校が併置される。
- 1930年(昭和5年)4月 - 併置の大船越農業補習学校が大船越実業補習学校に改称。
- 1931年(昭和6年)5月
- 厳原旧・対馬警備大隊建物の払い下げを受け、新校舎が完成。
- 久須保分教場と緒方分校を廃止し、本校へ統合。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「船越村立大船越国民学校」に改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)
- 旧・大船越国民学校の初等科が改組され、「船越村立大船越小学校」となる。
- 旧・大船越国民学校の高等科と旧・青年学校が改組され、船越村立大船越中学校(新制中学校)となり、小学校に併設。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 美津島町の発足により、「美津島町立大船越小学校・中学校」に改称。
- 1956年(昭和31年)5月11日 - 中学校校舎が完成。
- 1958年(昭和33年)- 緒方分校を再設置。低学年(1・2年生)を収容する。
- 1962年(昭和37年)- 緒方分校で6年生までを収容できるようにする。
- 1963年(昭和38年)- 運動場が完成。
- 1971年(昭和46年)10月12日 - 鉄筋コンクリート造2階建ての校舎が完成。
- 1973年(昭和48年)3月 - 体育館が完成。
- 1974年(昭和49年)4月1日 - 大船越中学校との併設を解消し、独立。
- 1995年(平成7年)3月31日 - 緒方分校を廃止し、本校へ統合。
- 2004年(平成16年)3月1日 - 対馬市の発足により、「対馬市立大船越小学校」(現校名)に改称。
- 2014年(平成26年)11月18日 - 対馬市教育委員会指定学力向上研究発表会
アクセス
- 最寄りのバス停
- 最寄りの空港
- 最寄りの国道・県道
周辺
脚注
参考文献
- 「美津島町誌 町村合併20周年記念事業」(1978年(昭和53年)9月発行, 美津島町役場)p.386~p.393
- 「美津島町誌 町村合併40周年記念誌」(1995年(平成7年)3月発行, 美津島町役場)
- 「美津島町閉町記念誌 1955 - 2004 美津島町のあゆみ」(2004年(平成16年)2月, 美津島町企画管理課)
関連項目