富奥村(とみおくむら)は、かつて石川県石川郡に存在した村。
村名の由来は、この地が江戸時代に富樫荘(富樫組)、中奥郷[2](中奥組)にまたがっていた所であり、両者からそれぞれ一字ずつ採ったもの。
地理
歴史
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、矢作村、粟田新保村、下新庄村、上新庄村、太平寺村、位川村、下林村、三納村、藤平田村、藤平田新村、中林村、上林村、清金村及び末松村の区域をもって、石川郡富奥村が発足する。
- 1904年(明治37年)11月1日 - 松金馬車鉄道(後の北陸鉄道松金線)が開通(太平寺)。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 野々市町及び富奥村が合併して、改めて野々市町が発足する[4]。この時、粟田新保は粟田、藤平田新(とへいだしん)は藤平(ふじひら)に名称を変更する。下新庄及び上新庄の区域をもって、新庄を新設する。残りの10大字は野々市町の大字に継承。
行政
村長
代数
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氏名[5][6]
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就任年月日[5][6]
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退任年月日[5][6]
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備考
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1
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藤村嘉平
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1889年(明治22年)6月17日
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1893年(明治26年)6月16日
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2
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永寛敬信
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1893年(明治26年)6月18日
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1902年(明治35年)7月20日
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3
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小林栄太郎
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1902年(明治35年)8月25日
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1914年(大正3年)9月23日
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4
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古源栄次郎
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1914年(大正3年)11月30日
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1922年(大正11年)12月28日
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5
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谷市三郎
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1923年(大正12年)1月25日
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1935年(昭和10年)2月
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6
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小林千太郎
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1935年(昭和10年)2月
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1939年(昭和14年)2月
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7
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中島栄治
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1939年(昭和14年)2月17日
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1944年(昭和19年)2月15日
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後に野々市町長[7]
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8
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竹内一朗
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1944年(昭和19年)2月
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1947年(昭和22年)4月
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9
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山原七郎
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1947年(昭和22年)4月
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1951年(昭和26年)4月
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10
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村井次一
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1951年(昭和26年)4月
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1955年(昭和30年)4月
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地域
教育
小学校
- 1902年(明治35年)4月1日、中林尋常、粟田新保、下林尋常小学校の3校が合併して富奥村立富奥小学校が誕生。
- 1955年(昭和30年)4月1日、野々市町と合併に伴い、野々市町立富奥小学校と改称。
- 1961年(昭和36年)4月1日、旧野々市町立野々市尋常高等小学校と統合され、1962年(昭和37年)8月に新野々市小学校の新校舎が完成し富奥小校舎は閉校。同年12月7日、富奥小校舎の跡地には石川県農業試験場が移転新築され、1987年(昭和62年)まで使用(金沢市才田町に移転)。現在はJAののいち本店と野々市スポーツランドが建っている。
中学校
- 富奥村立富奥中学校(校舎は富奥村立富奥尋常小学校と共同)
- 1947年(昭和22年)3月に教育基本法が制定され、六・三・三制が実施したことにより中学校までが義務教育となった。同年4月1日、学校教育規則法により富奥村立富奥中学校、同富奥小学校と改称した。1948年(昭和23年)、校舎の改装工事により、1949年(昭和24年)11月10日には、木造2階建ての校舎が完成。
- 野々市町との合併後に野々市町立富奥中学校と改称したが、1956年(昭和31年)3月31日、旧野々市中学校と統合のため廃校。新校舎(本町・現在、野々市市文化会館フォルテ)が完成するまでは、教場として活用されていた。
交通
鉄道路線
出身人物
脚注
関連項目
外部リンク