宮田和希
宮田 和希(みやた かずき、1988年11月16日 - )は、大阪府堺市中区出身[1]の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 経歴プロ入り前小学校4年生の時に野球を始めた[2]。 大阪府立福泉高等学校3年生時の第88回全国高等学校野球選手権大会・大阪府大会の大阪府立城東工業高等学校との1回戦では、後にヤクルトに入団する山田弘喜に完全試合を喫し(8回コールドの参考記録)、最後は自身のボークにより7点目を失ったことで、決着がついて敗退した[3]。 高校卒業後は大学に進学予定だったが、素質を買われ甲賀健康医療専門学校に進学[2][3]。社会人野球に参戦している同校の硬式野球部に所属し、社会人企業チームやクラブチームとの試合をこなした[2]。 2008年10月30日に行われたプロ野球ドラフト会議で埼玉西武ライオンズから6巡目で指名され[4]、入団。背番号は68に決まった[5]。 西武時代2009年8月26日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦の9回に4番手でプロ初登板し、1回を投げ被安打3、奪三振2、自責点2だった[2][6]。 2011年はイースタン・リーグで31試合に登板、34回1/3を投げ、リーグ最多の11暴投を記録した[7]。 2013年は二軍で36試合に登板、52回1/3を投げたが、与四球数はイ・リーグ最多の49を記録した[8]。 2014年9月30日の対北海道日本ハムファイターズ戦の同点の4回、一死の場面で2番手で登板し、1回2/3を投げ無失点で、初ホールドを挙げた[9][10]。シーズンオフには福倉健太郎、佐藤勇、誠、藤澤亨明と共にオーストラリアン・ベースボールリーグのメルボルン・エイシズに派遣され、ウインターリーグに参加した[11]。 2015年1月5日に婚姻届を提出し入籍していたことが8日に発表された[12]。春季キャンプではA班(一軍)でスタートしたが、開幕直前に左腕に打球を受けた影響で二軍に降格[13]。5月12日に出場選手登録され[14]、31日の対阪神タイガース戦において3点ビハインドの7回表に登板、1回を投げ無失点だったが、裏の攻撃でチームが逆転し、そのまま勝利したことでプロ初勝利を挙げた[13][15]。 2016年6月30日に左肘尺骨神経移行手術を行い、実戦復帰まで約3か月の見込みと発表された[16]。一軍での登板はなく、10月1日に球団から戦力外通告を受けた[17]。その後11月12日に行われた12球団合同トライアウト(阪神甲子園球場)に参加。打者3人に対し、被安打0、奪三振2の成績だった[18]。12月2日付で自由契約選手となった[19]。 その後2017年4月からライオンズアカデミーコーチに就任することが発表された。2018年度のNPBジュニアトーナメントではコーチとしてチームを準優勝に導いた。2020年に開校したライオンズアカデミー飯能校のメイン講師を務めている[20]。 選手としての特徴西武入団時での直球の最速は144km/h。変化球はスライダーなどを投げる[21]。 左投げだが、持病の腰痛の症状緩和のため、高校時代から右手で投げる練習を行っている[22]。 詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
記録
背番号
登場曲脚注
関連項目外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia