相内誠
相内 誠(あいうち まこと、1994年7月23日 - )は、千葉県富津市出身[1](柏市生まれ[2])の元プロ野球選手。キックボクサー。2014年から2017年の登録名は「誠」(まこと)。現在は格闘家やYouTuberとして活動。 経歴プロ入り前小学校4年生の時に野球を始め、富津市立天羽中学校は軟式野球部に所属[3]。家庭の事情で中学生時代を児童養護施設で過ごした[4]。 千葉国際高等学校(現:翔凜高等学校)時代は1年生時の夏にベンチ入り[3]。2年生時の夏の甲子園・千葉大会の対千葉県立松戸馬橋高等学校戦では、先頭打者から9連続奪三振を記録した[5]。3年生時の春季県大会では5試合40回を投げ47奪三振、防御率0.00だった[6]。同年の第94回全国高等学校野球選手権大会・千葉大会では2試合に救援登板し、1イニングずつを投げ無失点だったが、チームは3回戦で敗れた[7][8]。高校時代は「房総のダルビッシュ」の異名をとった[6]。 2012年10月25日に行われたプロ野球ドラフト会議で埼玉西武ライオンズに2巡目で指名され[9]、11月15日に契約金7000万円、年俸700万円(金額は推定)で仮契約を結んだ[10]。背番号は「41」が用意された[11]。 しかし、仮契約後の12月4日深夜に東京湾アクアラインの木更津金田インターチェンジ付近で仮免許運転違反と速度超過の容疑で千葉県警に摘発され、高校側は7日に相内を無期限謹慎処分としたことを発表した[12]。これにより入団手続きは一時凍結され[13]、12月13日に行われた新人の入団会見も欠席した[14]。 西武時代2013年1月初旬に無期限謹慎から学校内謹慎に変更され、その後は個別に授業を受け自主練習していた[15]。3月9日、西武は、2回の面談の結果本人が反省しており社会的制裁も十分受けたこと、および学校側の謹慎も解除されたことから入団凍結の解除を発表[16]。翌10日に入団記者会見が行われ[17]、11日に支配下選手登録された[18]。なお、背番号は用意されていた「41」ではなく「71」となり、年俸も当初の700万円から70万円差し引かれた630万円となった[19]。3月28日に千葉家庭裁判所木更津支部は相内を保護観察処分としたことを発表し[20]、同年9月まで保護観察を受けていた[21]。8月7日のイースタン・リーグ チャレンジ・マッチ(二軍の育成試合)の対フューチャーズ(若手選手の混成チーム)戦でプロ入り初登板[22]。二軍公式戦では6試合に登板し0勝3敗、防御率6.30だった[23]。シーズンオフには岩尾利弘、田中靖洋、藤澤亨明と共にオーストラリアン・ベースボールリーグのメルボルン・エイシズに派遣され、ウインターリーグに参加した[24]。11月27日に登録名を「誠」に変更すると発表された[25][注釈 1]。 2014年1月22日、球団は相内が未成年にもかかわらず飲酒・喫煙をした事実があったと発表した[21]。これは1月14日に球団公式ホームページの意見欄に相内が飲食店で飲酒をしているという投書があり、球団が本人に確認したところ事実と認めたもので、更にその中で2013年11月、12月にも東京都内で飲酒ならびに喫煙をしていたことも明らかになった[26]。これに対し球団は22日付で相内に対し6か月間の対外試合出場停止等の処分を課し、併せて夜間外出禁止や、ユニフォーム着用禁止などの処置を検討し、2月1日から開始される春季キャンプについては、B班(二軍)帯同とすることとした[26]。7月22日に処分が解け[27]、23日のイースタン・リーグの対千葉ロッテマリーンズ戦で先発し、5回を投げ1失点だった[28]。9月13日に一軍登録され[29]、同日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で一軍での初登板初先発し、2回2/3を投げ4失点で敗戦投手になった[30][31]。シーズンオフに福倉健太郎、佐藤勇、宮田和希、藤澤亨明と共に2年連続でオーストラリアン・ベースボールリーグのメルボルン・エイシズに派遣され、ウインターリーグに参加した[32]。 2015年は一軍では登板は無かった。二軍では22試合に登板、イ・リーグ最多の142回1/3を投げ、12勝7敗、防御率4.24の成績で、同リーグの最多勝利投手になった[33]。オフに背番号が「41」に変更された[34]。 2016年は春季キャンプで痛みを感じていた腰をかばいながら投げ続けていたことで右肘を痛め、2月29日に右肘靭帯を損傷していることが分かり、全治3か月と診断された[35]。7月19日、イースタン・リーグの対ロッテ戦に2番手で登板して実戦復帰し、1回を投げ無失点だった[36][37]。この年の一軍初登板となった9月3日の対千葉ロッテマリーンズ戦では、先発して3回2/3を投げ7失点だった[38][39]。 2017年は一軍初登板となった5月28日の対楽天戦で先発し2回0/3を投げ8失点で、敗戦投手となった。 2018年から登録名を「相内 誠」に再変更した。4月10日、イースタン・リーグの対北海道日本ハムファイターズ戦に先発登板予定だったが、西武第二球場からメットライフドームに向かう途中、運転する乗用車をガードレールに衝突させる自損事故を起こし、球団から数試合の出場停止と1年間の運転禁止の処分が科された(同日の試合の先発は南川忠亮に変更)[40]。5月25日の対北海道日本ハムファイターズ戦でシーズン一軍初登板、初先発したが5回3失点で敗戦投手となる[41]。結局、シーズンでの一軍先発登板はこの1試合に終わった。 2019年は4月25日の対ロッテ戦で6回4失点と粘投し勝利投手の権利を得ていたが、終盤に同点となりプロ初勝利は叶わなかった[42]。5月3日の先発登板では4回途中8失点となり、この試合がシーズン最後の一軍登板となった[43]。シーズンオフに背番号が「66」に変更されることが発表された[44]。 2020年4月12日、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、球団が全チーム関係者に自宅待機および不要不急の外出禁止と定めていた期間中にもかかわらず、チームメイトの佐藤龍世が運転する車に乗り、千葉県内のゴルフ場でゴルフをするために外出、その際、佐藤が運転する自動車が道路交通法に違反する危険な走行をしていた事実が判明したため、同年8月20日、佐藤とともに球団から無期限の対外試合出場禁止およびユニホーム着用禁止の処分を受けた[45]。同シーズンは開幕から謹慎直前まで一軍公式戦登板がなかった。9月28日に開かれた佐藤に対する東京地方裁判所の初公判で、佐藤が「同乗していた先輩の相内さんの指示に従った」と語っていたことが10月1日に報じられ[46]、それに反応してか、2日未明に自身のInstagramのストーリー機能に、真っ暗な背景で「あきれる。」とだけ書いた投稿を行った[47]。11月3日に戦力外通告を受けた[48][49]。10月18日には自身のInstagramのストーリー機能で周囲への感謝を記し、野球から離れることを示唆しており[50]、戦力外通告発表の同日には現役引退の意向であることが報じられた[51]。 格闘家転身戦力外通告ならびに引退が報じられた同日、スポーツニッポンは相内が格闘家転身の意向を固めていることを報じた[50]。相内はプロ入り前、野球の練習の合間にジムでキックボクシングのトレーニングを積んでおり、一時は進路を迷うほどにのめり込んでいたという。スポーツニッポンの取材に対し、相内は「1年勝負でやってみたい。自信はあります」と意気込みを語っている[50]。 2020年12月26日に記者会見を開き、翌2021年2月28日に横浜アリーナで開催される『RISE ELDORADO 2021』にキックボクサーとして出場することが発表された[52][53]。 格闘家としての活動以外では、2020年12月27日にはアパレル事業に進出したことをInstagramで報告。シンプルなデザインが特徴でブランド名は「SIEL」(シエル)[54]。ほか、バー事業への進出も示唆している。 2月28日、横浜アリーナにて開催された『RISE ELDORADO 2021』でDelgermuru拳信王と65.0kg契約で対戦し、1Rに3ノックダウンを奪われ敗北した[55][56]。 2021年11月27日、『BreakingDown』の第3回大会に出場し、フェザー級(66kg以下)の立ち技ワンマッチで柴田海都から右ストレートでダウンを奪い、2戦目でアマチュアながら初勝利を収めた[57]。 2022年2月16日、『RISE FIGHT CLUB』で元Jリーガーの安彦考真 (44歳)と対戦。元プロサッカー選手vs元プロ野球選手の対決として注目を集めるも、1R1分51秒でKO負けした。 2023年は体重を減量し、シュートボクシングに挑戦。2月12日の『SHOOT BOXING 2023 act.1』で再起戦が組まれたが[58]、仲田光大との対戦で2R1分32秒でKO負けした[59][60]。 プロ野球選手としての特徴最速145km/hの直球[2]、変化球は、カーブ、スライダー、カットボール、フォーク[2]、縦のスライダー[61]を投じる。 詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
記録
背番号
登録名
格闘家としての戦績プロキックボクシング
アマチュアキックボクシング
脚注注釈
出典
関連項目外部リンク
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