宮内治三郎宮内 治三郎(みやうち じさぶろう、1857年12月12日(安政4年10月26日[1])- 1906年(明治39年)2月13日[1][2][3])は、明治期の酒造家、実業家、政治家。衆議院議員。 経歴伊予国伊予郡郡中灘町[1](愛知県[2]伊予郡郡中灘町、郡中町[3]を経て現伊予市灘町)で、酒造家の家に生まれた[1]。酒造業を営む[2][3]。 1886年(明治19年)町の有志と郡中銀行を設立し[1]、のち頭取を務めた[1][2][3]。1889年(明治22年)1月、愛媛県会議員に選出され[1][2][3]、同副議長を務め[1][2][3]、1894年(明治27年)4月まで在任した[1]。 1894年9月、第4回衆議院議員総選挙(愛媛県第1区、自由党)で当選し[1][4]、衆議院議員に1期在任した[2][3]。 実業界では、1894年1月に南予鉄道会社の設立に参画して社長に就任し[1][2][3]、1896年(明治29年)7月、郡中-藤原間が開業[1]。また、同年、伊予汽船会社の開業に参画した[1]。 脚注参考文献
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