安東理紗
安東 理紗(あんどう りさ、1983年3月24日 - )は、元東北放送(TBC)のアナウンサー。 来歴・人物岡山県で誕生後、各地の転々を経て、東京都武蔵野市で育つ。吉祥女子中学校・高等学校、中央大学文学部卒業。2005年、東北放送入社。同期入社は守屋周。 ニックネームは「りさっち」だが、「安東さん」と呼ばれることが多い。サンドウィッチマンからは「あんちゃん」と呼ばれている。 全米ヨガアライアンス200時間、マタニティヨガ(産前ヨガ)、骨盤調整ヨガ、指ヨガのインストラクター資格を持っている。 2007年から6年間、韓国の韓国観光名誉広報大使を務めていた。また、韓国の安東市(アンドンし)から、同じ漢字の名字であることが縁で「安東観光名誉広報大使」に委嘱された(日本人で唯一)。 東北放送のアナウンサー6人とフリーアナウンサーのロジャー大葉で結成したバンドMic Breakersのサクソフォーン担当。 「サンドの笑福2011新春・初売テレビ」(宮城県ローカル)のエンディングで2011年1月1日にサラリーマンと結婚したことを発表した。 2013年9月から産休に入り、11月に長男を出産。2015年4月に復職。 2015年5月より『COLORS』金曜日を担当することが2015年4月24日に発表された。 2015年9月30日より『COLORS』水曜日に担当が変わった。 2016年10月より産休に入り、12月に長女を出産。2018年4月復職。 2022年3月30日放送の『en∞Voyage』にて、東北放送を退職する事を発表。 現在の出演番組テレビラジオ過去の出演番組テレビ
ラジオ
東北放送退社後
エピソード幼少期は父親の仕事の都合で引っ越しが多く、仙台市内の幼稚園に通ったり、小学4年生から6年生までをフランスなどに住んでいたことがある。このため、「自分には故郷と言えるような場所がない。自分の故郷と言える場所が欲しくて地方局のアナウンサーを志望した」と述べている。中学から大学までは東京に住んでいた。 学生時代の部活は演劇部と放送部。小さい頃憧れていたアナウンサーは中村江里子。 生まれ故郷の岡山県には現在も祖母が住んでおり、番組などでは岡山生まれ、武蔵野市や吉祥寺のことを地元と使い分けている。 中学時代からSMAPの中居正広の大ファンであり、Smapが解散するまでファンクラブにも入っていた。映画「わたしは貝になりたい」のキャンペーンで中居が東北放送を訪れた際にインタビューしている。産休に入る直前のCOLORS内で流れた曲はすべてSMAPを選曲した。また、En∞Voyageの最終回でも全曲SMAPだった。他に「エグザイル」や姉妹デュオ「Kitri(キトリ)」のファン。 学生時代にニッポン放送でアルバイトしており、ロンドンブーツ1号2号・田村淳やSNAIL RAMP・竹村あきらの「オールナイトニッポンいいネ!」で書類コピーなど雑用をしていた。竹村が東北放送にやって来たときに再会している。なお、このアルバイトの前任者は後に東北放送で同期となる前述の守屋周だった。他にマクドナルドや居酒屋でのアルバイト経験がある。 東北放送のラジオ番組に初登場したのは入社式の行われた日の2005年4月1日『八木山発ラジオな気分』。 ラジオ番組の企画でサックスを習い始め、番組内で披露した他に、2007年の定禅寺ストリートジャズフェスティバル in 仙台でもロジャー大葉達とともに演奏している。また、「生中継! 定禅寺ストリートジャズフェスティバル2012」(2012年9月8日)で、サックスプレイヤーの小林香織の横で演奏を披露した。ただし、佐々木淳吾アナによると「安東さんはサックスの話をされるのを嫌がる」。また、2021年「ラジオな気分」の中でウクレレを演奏した。 元仙台放送の早坂牧子や元東日本放送の奥村奈津美と親しく、3人で定期的に食事会を開いていたことをブログで明かしている。奥村は2021年2月に「ラジオな気分」に防災士として電話出演し、安東と初共演した。 東日本大震災の孤児を長期的に支援する「SENDAI青い鳥PROJECT」(2015年で活動終了)のサポーターである。 2013年1月10日、仙台南警察署の1日警察署長を務めた。 高速道路を自分で運転したことがない。教習所の高速道路教習もバーチャルだったため、一度も運転したことがない。 2021年3月11日、ラジオ番組『3.11絆みやぎ明日へ』の中で放送された「希望を植える〜夢を耕す22歳の挑戦〜」は安東が南三陸町で新しく農業を始めた女性とその周りの人々について約2年間取材したもので、企画編集も安東が行った。なお、ナレーターは同期の守屋周が担当した。 名取交響吹奏楽団の定期演奏会の司会を10年以上務めている。 脚注
関連項目外部リンク
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