安倍清行
安倍 清行(あべ の きよゆき/きよつら)は、平安時代前期の貴族・歌人。大納言・安倍安仁の子[1]。官位は従四位上・讃岐守。 経歴承和3年(836年)12歳で文章生に補せられる。のち大内記を務め、天安3年(859年)には領渤海客使を兼ねたが、同年4月に父・安仁が没したため客使の職を辞している(この時の位階は正六位上)。 貞観2年(860年)従五位下・次侍従に叙任される。清和朝では、勘解由次官・大宰少弐・鋳銭長官・周防守・左衛門権佐などを歴任し、この間の貞観16年(874年)に従五位上に叙せられている。陽成朝に入り、元慶2年(878年)五位蔵人兼右少弁に任ぜられると、元慶5年(881年)左少弁、元慶8年(884年)右中弁と弁官を歴任し、この間の元慶7年(883年)正五位下に叙せられている。 仁和2年(886年)従四位下・陸奥守に叙任されると、寛平6年(894年)讃岐守と、光孝朝の半ば以降は主に地方官を務めた。寛平7年(895年)従四位上に至る。昌泰3年(900年)卒去。享年76。 勅撰歌人として、『古今和歌集』に小野小町との贈答歌[2]を含む、和歌作品2首が採られている[3]。また、娘の讃岐も同じく和歌作品が1首入集している。 官歴注記のないものは『日本三代実録』による。
脚注参考文献 |