孤高のストレンジャー
『孤高のストレンジャー』(原題:Stranger in Us All)は、リッチー・ブラックモア率いるハードロック・バンドのレインボーが1995年に発表したスタジオ・アルバム。『ストリート・オブ・ドリームス』(1983年)以来の新作で、ブラックモアと新しいメンバーによって製作された。 解説経緯ブラックモアは1993年11月にディープ・パープルを再び脱退して[注釈 1]、ソロ・プロジェクトに着手した。バンド名は当初の発表ではムーン(Moon)だったが、レインボー・ムーン(Rainbow Moon)に変更され[8]、最終的にはレコード会社によってレインボーに決められた[9]。 新生レインボーにはミッドナイト・ブルーやプレイング・マンティスで活動したドゥギー・ホワイトがボーカリストとして参加[9][注釈 2]。彼は最初の2日間のリハーサルでブラックモアと新作3曲を共作したという[9]。他にポール・モリス(キーボード)、グレッグ・スミス(ベース)、ジョン・オライリィ(ドラムス)がメンバーに迎えられた。 内容後にブラックモアとブラックモアズ・ナイトを結成するキャンディス・ナイト[注釈 3]が、バックグラウンド・ボーカルを担当し、4曲をブラックモアらと共作した[10][注釈 4]。 「ホール・オブ・ザ・マウンテン・キング」はエドヴァルド・グリーグの『ペール・ギュント』の「山の魔王の宮殿にて」を編曲したもの[8][注釈 5]。「スティル・アイム・サッド」はヤードバーズが1965年に発表した楽曲のカヴァーで、レインボーが取り上げるのはデビュー・アルバム『銀嶺の覇者』(1975年)に続いて2度目だった[8][注釈 6]。 反響・評価本作は英米では大きな成功を収められなかったが、ヨーロッパの一部の国や日本では大ヒットを記録。フィンランドのアルバム・チャートでは6位に達し、6週連続でトップ40入りした[1]。日本ではオリコンチャートで7位に達し[2]、1995年9月度に日本レコード協会によってゴールド・アルバムに認定された[11]。スウェーデンでは2週連続で8位となり、レインボーのアルバムとしては4作目のトップ10ヒットとなった[3]。 ブレット・アダムスはオールミュージックにおいて5点満点中3点を付け、「ホワイトは真っ当で極めて有能なハードロック・ボーカリストだが、ロニー・ジェイムス・ディオ、グラハム・ボネット、ジョー・リン・ターナーほど突出していない」と評した[12]。ただし彼は「ハンティング・ヒューマンズ(インセイシャブル)」と「ブラック・マスカレード」を「かつてのレインボーのエネルギー、ドラマ、ダイナミクスを再現しているという意味で突出した2曲」と評した[12]。 収録曲特記なき楽曲はリッチー・ブラックモアとドゥギー・ホワイトの共作。
日本盤ボーナス・トラック
参加ミュージシャン
アディショナル・ミュージシャン
脚注注釈
出典
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