天河区
歴史区設置以前は「広州東郊」と総称される農村地帯で、解放前まではトラも生息する自然豊かな丘陵であった[5]。 名前の由来は区の西端にあった天河村に由来する。天河村は旧名を大水圳と称し、名前の通り珠江支流の小川である沙河のほとりにあった。1926年に国民革命軍第5軍軍長の李福林が大塘村を天池村と改名した際、大水圳の住民が李の同宗であった誼で天河村と改称された。それでも、1920年代までは数ある農村の一つに過ぎず、天河村の北部と東部にある沙河や石牌の方が鉄道や中山大学など学校が置かれた学生街として発展していたが、1930年に村に隣接して軍用の広州天河飛行場が設置される。1959年の飛行場廃止後、跡地はしばらく放置されていたが、1984年に天河体育中心の建設が決まり、それに伴い1985年に天河区が設置。改革開放後は、天河北の周辺跡地や珠江沿岸が再開発区域となり、オフィスやショッピングセンターが立ち並ぶ中心業務地区となる。 西部~中央には「痩狗嶺」「飛鵝嶺」と呼ばれる断層で出来た海抜30メートル~130メートルの小高い丘陵が広がり、その南北を沙河が珠江に流れる。南西部は珠江新城と呼ばれる再開発区域である。珠江の海心沙島、二沙島も一部区内に入る。 行政区画2023年2月現在まで21街道を管轄する[6]:
有名な建物
交通主要鉄道駅地下鉄その他
出典外部リンクウィキメディア・コモンズには、天河区に関するカテゴリがあります。 座標: 北緯23度7分28.76秒 東経113度21分40.41秒 / 北緯23.1246556度 東経113.3612250度 |