大分県立大分雄城台高等学校
大分県立大分雄城台高等学校(おおいたけんりつおおいたおぎのだいこうとうがっこう)は、大分県大分市にある全日制課程単位制普通科の高等学校である。通称は雄城高(おぎこう)。 校舎は標高約70mの雄城台地上にあり、通学する際には、急勾配の雄城坂を登ることになる。学校敷地内には雄城神社がある。 設置学科
沿革
教育方針誠実・自主・創造の3つの校訓を元に教育目標を立て、人材の育成を図っている。 これは、初代・藤原正教(まさのり)校長が提唱したもので、その経緯は『学校を造る』(ぎょうせい発行)という書籍に詳細に書かれている。 なお、校章の三本の矢は、鎮西八郎・源為友が霊山から放ったとされる矢をもとに、これに毛利元就の「三本の矢」の伝承を組み合わせて、初代・藤原正教校長が発案したものである。 環境新産業都市指定や大分臨海工業地帯への企業進出などの工業化等に伴う大分市の人口急増に対応するために、大分市稙田(わさだ)地区に造成された住宅地群の狭間に設けられた高校であり、現在でも稙田地区から自転車で通学する生徒が多いが、単独選抜化・大分豊府高校の併設中学設置(中高一貫化)・単位制化に伴い、大分市中心部からの通学者が増えている。 雄城台高校の校地はひとつの台地全体を占めており、校舎は台地上にあるため、周囲の喧噪から遮断された良好な環境が保たれている。 なお、校庭の芝生と、これを取り囲む桜並木は、第一回卒業生が自ら植えたものであり、当初は、全ての桜にそれを植えた人の名札が下げられていた。ここに、校訓の「誠実・自主・創造」の精神が活かされている。 さらに、管理棟の中庭にあった日本庭園も、生徒会から自主的に提案されたものである。 施設校舎は、管理棟、普通教室棟、特別教室棟から成り、他に体育館、プール等がある。 管理棟は、最も正門寄りに位置し、図書館や職員室などがある。3階建てでロ字状の平面を有しており、中央部の中庭を廊下が取り巻き、その外側に室が配される構成となっている。中庭の置物の配置は直上から見ると大分県の形をしている。 普通教室棟は、管理棟に隣接して設けられており、4階建てで、通用門側の1階部分の一部がピロティになっている。特別教室棟は、普通教室棟に並行して、正門から見て最も奥に設けられている。 学校行事年間行事
前期生徒総会生徒総会は年2回行われる。 前期は5月、後期は11月である。 主な内容として学校や各委員会の案に対する要望、修正意見の議論がある。 しかし、各要望の最終決定するのは学校側であり、これまで要望が通ったことはほぼない。 実際に、9月祭でのスマートフォン使用解禁の要望がでたが、学校側は「スマートフォンの持ち込みは緊急連絡用という理由のみで認めているため9月祭での写真撮影目的等での使用は認められない」 とこれを拒否した。 また、雄城坂での小型扇風機の使用も「手に扇風機を持って挨拶をする事はだらしない」との理由で拒否。 しかし、学校側は大分県教育委員会のYouTubeチャンネルにて「雄城坂での挨拶の指導は行っていない、生徒が自主的にやっている」としているが、これにより事実上の強制が露になった。 ここで言う雄城坂での挨拶とは車が来たら振り返って礼をするという物である。 九月祭九月祭は、毎年9月中旬に3日間行われる。最初の2日間は文化祭に、残りの1日は体育祭にあたる。体育祭の団体競技に雄城神社に縁のある源為朝に因んだ為朝合戦がある。2008年に限り、大分国体の影響で体育祭が5月に行われた。 強歩大会強歩大会は、学校創立以来、毎年、冬に行われている行事で、1・2年生が参加する。男子は霊山を登り霊山寺付近で折り返す約20kmコース、女子は霊山の手前で折り返す約16kmコースを走る。途中で歩くことも認められるが、制限時間内にゴールできない場合は棄権となる。気温が低い条件下で、特に男子が挑むコースでは急勾配の坂道の登り下りがあるため過酷である。 部活動運動部、文化部ともに活動が活発で、全国大会などへの出場も多い。 運動部
文化部
著名な出身者
交通鉄道駅からは離れている一方、国道442号(旧国道210号)に近接しているため、バス・車の利用が一般的である。
その他脚注
関連項目外部リンク |