大久保徳明
大久保 徳明(おおくぼ のりあき、1860年9月29日(万延元年8月15日[1]) - 1917年(大正6年)4月20日[1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 経歴1860年(万延元年)、土佐国土佐郡小高坂村後町(現在の高知県高知市)居住の土佐藩士・大久保幸策の三男として生まれた。 1875年(明治8年)、陸軍幼年学校を経て陸軍士官学校(旧3期)[1][2]に進み1879年(明治12年)12月22日、工兵少尉に任官[3]。1883年(明治16年)2月28日工兵中尉に、1886年(明治19年)10月4日工兵大尉に昇進[4]。1888年(明治21年)11月17日、陸軍士官学校教官に補される[5]。 1895年(明治28年)3月23日工兵少佐に昇進[6]し、陸軍大学校教官、宇品運輸通信支部員などを経て、1898年(明治31年)10月1日、工兵中佐に昇進[7]。1902年(明治35年)5月5日、台湾陸軍補給廠長となり[2]、6月1日、工兵大佐に昇進[2][8]。1904年(明治37年)4月1日、陸軍運輸部本部長兼宇品碇泊場司令官に就任し、日露戦争の後方支援を担った[1][2]。 1906年(明治39年)7月6日、陸軍少将に進級し陸地測量部長に着任[1][2][9]。1912年(大正元年)12月26日、陸軍中将に進み旅順要塞司令官に就任[1][2][10]。1913年(大正2年)8月22日、待命となり[1][2][11]、1914年(大正3年)5月11日、予備役に編入された[1][2][12]。1917年(大正6年)4月、56歳で死去。 栄典
親族演じた俳優脚注
参考資料
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