大中臣 親章(おおなかとみ の ちかあき)は、平安時代後期の公卿・伊勢神宮祭主。神祇権大副・大中臣親仲の子[1]。官位は従三位・神祇大副、伊勢神宮祭主。南三位と号す。
経歴
永久3年(1115年)太神宮の造営の功で山城守に任ぜられる。大治6年(1131年)に従五位上・河内守に叙任され、保延2年(1136年)正五位下に叙せられる。
康治2年12月(1144年1月)、神祇少副に任ぜられる。久安6年(1150年)には神祇権大副に進み、仁平4年(1154年)正月に従四位下、同年8月には従四位上に叙せられた。久寿2年(1155年)正四位下に叙せられ、保元2年(1157年)第40代伊勢神宮祭主に補任される。同年神祇大副に転じ、平治元年(1159年)には従三位に叙せられて公卿に列した。永暦2年(1161年)正月29日、59歳で薨去した。
官歴
※以下、『公卿補任』の記載に従う。
- 時期不詳:従五位下に叙す。
- 永久3年(1115年)正月29日:山城守に任ず(造太神宮功)。
- 大治6年(1131年)
- 正月5日:従五位下に叙す(治国)。
- 正月21日:河内守に任ず。
- 保延2年(1136年)正月27日:正五位下に叙す(除目次。造豊受太神宮)。
- 康治2年12月15日(1244年1月21日):神祇少副に任ず。
- 久安6年(1150年)6月25日:神祇権大副に転ず。
- 仁平4年(1154年)
- 正月2日:従四位下に叙す(造斎宮寮中院功)。
- 8月9日:従四位上に叙す(九月十一日造宮使賞)。
- 久寿2年(1155年)11月22日:正四位下に叙す。
- 保元2年(1157年)
- 8月14日:祭主宣旨を蒙る。
- 9月9日:神祇大副に任ず。
- 平治元年(1159年)11月22日:従三位に叙す(大嘗會)。
- 永暦2年(1161年)正月29日:薨去。享年59。
系譜
脚注
- ^ a b 『大中臣氏系図』、『藤波家譜』など。『祭主補任次第記』等によると、親仲の父である親定の子で、親仲の養子。