外江町(とのえちょう[1])は、鳥取県境港市の町名。郵便番号は684-0071[1]。
地理
市の北西端に位置し、北は境水道、西は中海に面する[2]。
歴史
外江村は戦国期に見える村名である[2]。近世外江村は江戸期から1889年の村名で、伯耆国会見郡のうち鳥取藩領[2]。幕末期に東・西外江村に分村し、1888年に再び合併する[2]。1871年に鳥取県、1876年に島根県、1881年に再び鳥取県に所属[2]。
近代外江村は1889年から1947年の自治体名で、はじめ会見郡、1896年からは西伯郡に所属[2]。
近代外江町は1947年から1954年の自治体名[2]。1954年、西伯郡境港町の町名となる[2]。1956年から境港市の町名となる[2]。
人口
世帯数・人口は1975年、1553・5499[2]。
行政・政治
村長・町長、助役、収入役、議員は以下の通り[3][4]。
村長
歴代
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氏名
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就任年月日
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退任年月日
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初代
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小徳健順
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1889年(明治22年)12月
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1896年(明治29年)3月
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2
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遠藤茂信
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1896年(明治29年)4月
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1898年(明治31年)5月
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3
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南家治平
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1898年(明治31年)5月
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1899年(明治32年)4月
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4
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足立長重[5]
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1899年(明治32年)4月
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1902年(明治35年)4月
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5
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柏木良吉
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1902年(明治35年)5月
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1902年(明治35年)7月
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6
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原萬種
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1902年(明治35年)11月
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1905年(明治38年)2月
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7
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足立長義[6]
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1906年(明治39年)3月
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1907年(明治40年)8月
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8
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古徳勇太郎
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1907年(明治40年)10月
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1908年(明治41年)2月
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9
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永田堅太郎[5][6]
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1908年(明治41年)11月
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1916年(大正5年)11月
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10
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高木茂長[5]
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1917年(大正6年)3月
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1921年(大正10年)3月
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11
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遠藤増衛
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1921年(大正10年)4月
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1928年(昭和3年)11月
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12
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遠藤健治
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1928年(昭和3年)11月
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1936年(昭和11年)11月
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13
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古徳安治
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1936年(昭和11年)12月
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1940年(昭和15年)12月
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14
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南家保孝
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1940年(昭和15年)12月
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1944年(昭和19年)12月
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15
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古濱厳
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1945年(昭和20年)3月
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1946年(昭和21年)11月
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16
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早川教定
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1947年(昭和22年)4月
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1949年(昭和24年)3月
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町長
歴代
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氏名
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就任年月日
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退任年月日
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初代
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早川教定
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1947年(昭和22年)4月
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1949年(昭和24年)3月
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2
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高梨光栄
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1949年(昭和24年)4月
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1954年(昭和29年)8月
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助役
- 浜田善九郎 1889年12月 - 1893年5月
- 遠藤茂信 1894年1月 - 1896年4月
- 足立藤禄[6] 1896年6月 - 1897年5月
- 南家治平 1897年7月 - 1898年5月
- 竹内周三郎 1898年6月 - 1899年2月
- 足立藤禄 1899年3月 - 1900年3月
- 南家治平 1900年4月 - 1901年3月
- 柏木良吉 1901年4月 - 1902年5月
- 南家治平 1902年6月 - 1902年7月
- 浜田善九郎 1902年11月 - 1909年7月
- 柏木猪平 1910年1月 - 1914年1月
- 足立長泰[5] 1914年6月 - 1916年12月
- 南家治平 1917年5月 - 1921年5月
- 遠藤亀一郎 1921年12月 - 1922年8月
- 遠藤健治 1922年9月 - 1928年11月
- 足立亭 1928年11月 - 1932年2月
- 古徳安治 1932年2月 - 1936年12月
- 竹内周三郎 1936年12月 - 1940年12月
- 浜田幸吉 1944年12月 - 1947年4月
- 中村文平 1947年4月 - 1954年8月
収入役
- 足立長泰 1893年12月 - 1897年12月
- 吉田三太郎 1897年12月 - 1903年4月
- 遠藤作平 1903年4月 - 1906年4月
- 遠藤栄松 1906年5月 - 1907年11月
- 浜田仙次郎 1907年11月 - 1911年11月
- 高梨長寿[5] 1911年11月 - 1939年11月
- 浜田幸吉 1939年11月 - 1944年12月
- 浜田由市 1944年12月 - 1947年4月
- 浜田幸吉 1947年4月 - 1954年8月
議員
- 1889年 - 遠藤茂信、南家治平、足立長重、西澤幸造、足立藤禄、竹内周三郎、竹内平十郎、吉田才三郎、遠藤貞五郎、原伴四郎、遠藤幸七、榧野弥三七、柏木良吉、浜田治左衛門
- 1892年 - 遠藤茂信、足立長重、西澤幸造、足立藤禄、原伴四郎、竹内平十郎、浜田善九郎、浜田周蔵、原萬種、小徳健順、竹内乕次郎
- 1895年 - 南家治平、柏木良吉、竹内周三郎、吉田才三郎、浜田武平、足立曻一、榧野勝次郎
- 1913年 - 柏木良吉、足立長義、南家治平、浜田嘉三郎、古徳熊太郎、古徳勇太郎、浜田定一郎、佐々木福太郎、足立長泰、竹内周三郎、原萬種、浜田庄松、藪内熊市、竹内平十郎[5]
- 1917年 - 柏木熊重、南家治平、浜田嘉三郎、足立長義、古徳勇太郎、足立長泰、遠藤亀一郎、高梨常蔵、原萬種、竹内周三郎、小徳好松、古徳熊太郎、遠藤花次郎、浜田庄松、浜田新市郎、遠藤作平
- 1921年 - 足立長義、南家保孝、南家善重、竹内周三郎、柏木好太郎、小徳松蔵、浜田庄松、遠藤亀一郎、藪内熊市、足立長泰、面谷兵太郎、遠藤花次郎、原新市、原正次
- 1925年 - 南家保孝、排藤茂郷、榧野熊造、三宅竹次、柏木好太郎、南家善重、竹内周三郎、面谷兵太郎、小徳政徳、古徳安治、原正次、原新市、足立長泰、遠藤菊松
- 1929年 - 竹内周三郎、柏木茂順、浜田茂司、足立亭、南家保孝、排藤茂郷、古徳安治、竹内太郎、遠藤菊松、香川己市、浜田幸吉、遠藤延寿、浜田栄太郎、面谷兵太郎、三宅竹次
- 1933年 - 竹内美登、古徳安治、三宅義良、竹内周三郎、三宅竹次、古徳義延、南家保孝、柏木政善、竹内平十郎、遠藤政義、浜田茂司、足立亭、遠藤延寿、排藤茂郷
- 1937年 - 南家保孝、竹内周三郎、浜田茂福、竹内美登、高梨光栄、排藤茂郷、高梨久市、遠藤健治、遠藤政義、竹内平十郎、遠藤延寿、浜田幸吉、浜田茂司、榧野茂作、佐々木房吉
- 1942年 - 浜田竹治、古浜厳、竹内乙市、寺本米重、藪内定栄、南家清一、遠藤秀昌、柏木茂福、浜田美房、竹内善一郎、高梨光栄、竹内一雄、早川教定、遠藤鹿造
- 1947年 - 渡辺一雄、大黒光治、浜田正一、浜田茂福、竹内歳昭、浜田増太郎、藪内友栄、遠藤秀昌、遠藤延寿、排藤茂郷、榧野茂作、柏木善治、高梨光栄、高梨繁雄、高梨菊義、松本幸治、香川秀雄、門脇武顕、道田利栄、浜田義太郎、古徳倉政、足田重利、松本信雄、古徳高徳、榧野俊春、浜田実、榧野明
- 1951年 - 榧野竹頼、浜田義太郎、浜田実、浜田政徳、浜田増太郎、古徳高徳、香川秀雄、足田重利、遠藤高義、松本信雄、松本幸治、柏木清成、遠藤秀昌、排藤茂郷、遠藤延寿、高梨繁雄、榧野茂作
経済
産業
1917年に出版された『陰陽八郡郡勢一斑』によると「外江村は商工業旺盛の地である」という[5]。かつて存在した商工業者は、製糸工場経営の足立[5][7][8][9]、雑貨、履物の安藤[8]、造船の石橋兼松[7]、米穀の古徳[7]、小間物[8]、雑貨の佐々木[9]、質、貸付の佐々木[7]、雑貨金物[8]、米穀荒物の佐々木[7][8]、金物セメントの佐々木[8]、製糸繭問屋[8]、薬種屑屋の竹内[7]、繭糸の竹内[8][9]、繭の竹内[8][9]、呉服の竹内[8]、製糸の竹内[8]、サナギ、サナギ油の南家[9]、貸金貸付の南家[7][9]、副蚕糸の南家清一[9]、製糸繭糸製紙原料の南家[8]、刻鯣機械の浜田[9]、練炭製造の浜田[9]、請負の三宅[8]、小間物の三好[9]、呉服繭糸の藪内[9]などがいた。
- 店・企業
- かつて存在した企業
地主
『西伯之資力 大正11年10月調』によると、地主は浜田、南家、足立、古徳などがいた[注 1]。
地域
教育
健康
- 医療機関
- かつて存在した医師
相談
- 片岡和叫喜税理士事務所
- 税理士法人 松本会計事務所
施設
- 宗教
出身人物
脚注
注釈
- ^ 『西伯之資力 大正11年10月調』によると、所有地価金額は浜田利雄は4062円91銭、南家治平は3988円47銭、足立長泰は3545円48銭、古徳勇太郎は2075円6銭、南家善重は1666円62銭である[11]。
出典
参考文献
- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 峯玄光編『曹洞宗寺院名鑒』国書刊行会、1913年。
- 景山粛『伯耆志 巻三』因伯叢書発行所、1916年。
- 西伯の資力調査会編『西伯之資力 大正11年10月調』西伯資力調査部、1922年。
- 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』角川書店、1982年。
- 『境港市史 上』境港市、1986年。
- 『境港市史 下』境港市、1986年。
- 信用交換所総合事業部編『全国繊維企業要覧 昭和64年版 西日本篇』信用交換所大阪本社、1988年。