増山麗奈
増山 麗奈(ますやま れな、1976年12月25日[4])は、日本の女性画家、映画監督、ジャーナリスト[3]。芸術家、パフォーマー、作家、反戦・反原発の市民運動家と、様々な肩書を持つ[2]。 2016年の参院選出馬の際の肩書は「映画監督」としていた[4][3][2][5]。 一般社団法人「ユーラシア国際映画祭」代表理事(東京都日野市多摩平2丁目5-1)[1]、「氷河期ネット」代表[6]。映像・アート制作「アースアートファクトリー」代表[1]。雑誌『ロスジェネ』『月刊タイムス』元編集委員[1]。 人物千葉県千葉市出身[2][1]。東京都日野市在住[7]。1989年、千葉大学教育学部附属小学校卒業。1992年、千葉大学教育学部附属中学校卒業。1995年3月、日本大学習志野高等学校卒業。同年4月、東京芸術大学入学。2002年、東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻中退[3][2][8][9]。 アーティストとしては、過激な路上パフォーマンスや、女性性(特に性的な面)を全面に押し出した作品群などで話題を呼ぶ。自伝『桃色ゲリラ』(社会批評社刊)を原作とした、子供時代からの再現ドラマを含めたドキュメンタリー映画『桃色のジャンヌダルク』(鵜飼邦彦監督)を制作。「人前で乳房をさらして行う母乳アートや、セクシャルな女性の肢体を描くネオ春画などで有名」とある[10][11]。Yahoo!ショッピングに「増山麗奈ショップ」を開き、自作の絵画などの作品をインターネット上で販売している[12]。 挿絵を担当した絵本『幼なじみのバッキー』(月曜社刊、企画・原作・作画指示・編集:澤田サンダー)が第10回岡本太郎現代芸術賞に入選。 増山は「ちんどん屋の玉三郎」こと吉野繁[13]と結婚し長女を出産したが離婚し[14]、その後に戦場・環境ジャーナリストの志葉玲と再婚し[15]次女で中学生写真家(当時の肩書[16])として個展[17]を開いたり、毎日小学生新聞に連載している[18]小原玲の弟子の[19]の藍沙[20]を出産したが[21]、2022年6月に離婚[22]。 2011年の東日本大震災と福島第一原発事故を契機として、ロサンゼルスへ避難しようとカンパを募ったが、結局関西へ自主避難[23]。2015年12月まで兵庫県神戸市北区に在住していた[24]。 2016年の第24回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するため、2015年12月に東京都日野市へ転居[6][25]。2021年現在、日野市に在住している[7]。 祖父は日本社会党富山県本部書記長などを務めた増山直太郎[2]。自身も2016年の参議院選挙に社会民主党公認で立候補したが[4][3][2]、落選した[5]。得票数は93,677票(1.51%)[5]。増山は出馬時、前回の参院選で東京選挙区から初当選した「生活の党と山本太郎となかまたち」の山本太郎の政治活動を評価していた[2]。 略歴
主な作品・出演著作
雑誌編集映画
ラジオ番組
インターネット・SNSにおける言動「プルトニウム米」発言
→「セシウムさん騒動」も参照
Qアノンへの傾倒扶桑社が運営するニュースサイト「HARBOR BUSINESS Online」2021年2月3日付にて、増山はQアノンの陰謀論に傾倒していたことを自ら告白[31]。ドナルド・トランプや2020年のアメリカ大統領選、翌年の議事堂襲撃事件などについて「ひょっとして、私は真実ではない情報をSNSなどで積極的に拡散し、暴力を肯定・拡散する側に回っていたのではないだろうか……」と述べた[31]。また増山はその中で「陰謀論はサスペンス映画のように刺激的だった。深夜にネットサーフィンして陰謀論の動画を見ることが習慣化し、楽しみになっていた」「陰謀論を信じて期待していたが、何も起こらなかった。睡眠時間を削って情報を集めていた自分が虚しく詐欺に遭ったような気持ち」とも述べている[31]。なお増山は、自身のこうしたQアノンの陰謀論への傾倒について「やらかした」と表現している[31]。 →詳細は「Qアノン」を参照
反精神医学的主張向精神薬、特にベンゾジアゼピン系睡眠薬・抗不安薬や、発達障害の治療に使用されるアトモキセチン(商品名ストラテラ)などについて「薬物依存になる」「投薬が逆に精神疾患を生む事実を隠蔽している」などと主張して、精神科の薬物治療に反対している[32]。しかしそのことについて書いた記事中で、ベンゾジアゼピン系向精神薬とオピオイド系鎮痛薬を混同していたことを指摘され、謝罪して訂正した[32]。 →「反精神医学」も参照
政策脚注
関連項目外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia