城市郎城 市郎(じょう いちろう、1922年1月2日[1] - 2016年2月[2])は、発禁本の蒐集家・研究家。『発禁本』などの著書がある。 略歴1922年1月2日、仙台生まれ[1]。1936年、東京市本郷高等小学校高等科を卒業、読売新聞社本社に給仕として入社[1]。社長正力松太郎の秘書に抜擢される[1]。1943年に召集を受けた後に南方で敗戦を迎え、1946年に復員した。 1941年に古書店で『明治開化期文学集』と『プロレタリア文学集』(ともに改造社、1931年刊)を購入、これをきっかけに発禁本蒐集を始める[1]。1948年頃から蒐集活動を本格化させる[1]。 会社勤めの傍ら、古書の蒐集を行っていた[3]が、1956年、書痴・斎藤昌三を訪ね、発禁本の蒐集、保存を勧められた[4]。以後は好色本から左翼思想書に至る発禁本のコレクションに専念した。 1965年に『発禁本』(桃源社)を刊行し、以後も発禁本に関する書を多数刊行。コレクションは1万点を優に超えるとされた[5]。 1965年、『週刊漫画TIMES』掲載の「禁じられた危険な文章」が当局からクレームを受ける。1972年、『面白半分』7月号掲載の「四畳半襖の下張」に解説を寄稿したため、同誌の摘発(四畳半襖の下張事件)に巻き込まれ、警視庁から呼び出しを受け調書を取られる。1976年、スポーツニッポン新聞社出版局より刊行した『発禁本の世界』が、「禁じられた箇所を大幅に引用しすぎる」という理由で摘発される[1]。 2011年、蔵書を明治大学に寄贈、「城市郎文庫」として整理された[6]。当初は約7,000冊とされていたが、整理の結果、9,237冊(うち筆禍図書1,384冊、筆禍雑誌153タイトル278冊、一般図書6,084冊、一般雑誌236タイトル1,491冊)となった[2]。 著書
共著以下は米沢嘉博との共著。
出典
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