国連防災世界会議国連防災世界会議(こくれんぼうさいせかいかいぎ、英: World Conference on Disaster Risk Reduction、略称 : WCDRR)とは、国際的な防災戦略について議論する国際連合主催の会議。開催事務局は、国連総会の決定により、国連組織である国連防災機関 (UNDRR)(2019年までは国連国際防災戦略事務局)が務めている[1]。およそ10年ごとに開かれ、国連加盟のほぼすべての国が参加して、各国が取り組むべき防災や減災対策の指針について話し合う。 第1回と第2回の英称では Risk が入っておらず、略称もWCDRだった。 概要1989年に開催された第44回国連総会において、1990年から1999年までの10年間を、「国際防災の10年」とすることを採択。その中間年にあたる1994年に横浜市で初の国連防災世界会議が開催された[2]。1999年の第54回国連総会では、「国際防災の10年」を継承する、新しい「国際防災戦略」活動を開始することを採択[3]。以降も、その中間年に国連防災会議を継続して開催し、これまでの10年の成果や課題について議論し、次の10年に向けた国際的な防災に関する枠組を策定してゆくこととなった。 第3回会議からは、これまでの実務者級会合から首脳級会議へと格上げされる[4]。 開催地
これまでの会議第1回WCDR1994年(平成6年)5月23日(月) - 27日(金)にかけて、神奈川県横浜市の横浜みなとみらい21にて開催。会場は、同年4月25日に落成したパシフィコ横浜・国立大ホールを初めとする横浜国際平和会議場(パシフィコ横浜)。 自然災害の防止とその備え、減災に関するガイドラインとして「より安全な世界に向けての横浜戦略(以下、横浜戦略)」を採択した。 第2回WCDR2005年(平成17年)1月18日(火) - 22日(土)にかけて、兵庫県神戸市の神戸コンベンションコンプレックスにて開催。開会日は、1995年(平成7年)1月17日に発生した兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)から10年と1日後。 「横浜戦略」の見直しとその完結、その後10年(2005年 - 2015年)の防災に関する施策のガイドラインについて議論され、「兵庫行動枠組」等が策定された。 なお、2007年(平成19年)10月、国連国際防災戦略事務局(UNISDR)の駐日事務所である「UNISDR兵庫事務所」が兵庫県神戸市に開設された[12]。
第3回WCDRR2015年(平成27年)3月14日(土) - 18日(水)にかけて、宮城県仙台市[注釈 1][14][15]の(開業前の)仙台市地下鉄東西線・国際センター駅[注釈 2]周辺を中心に仙台市都心部複数会場ほかにて開催。開会日は、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)から4年と3日後。 国連に加盟する187ヶ国[16](約6,500人)が出席し、シンポジウム等の関連イベントには延べ15万人以上が参加。日本で開催された国際会議としては、過去最大規模のものとなった[17]。 出席した主な要人(首脳級)
「兵庫行動枠組」の見直しと、その後15年(2016年 - 2030年)の防災に関するガイドラインについて議論され、災害による死亡率や被災者数の削減目標を盛り込んだ「仙台防災枠組」等が策定された。 期間中の3月14日、サイクロン・パムの直撃を受けたバヌアツのロンズデール大統領が、出席中の当会議の場で国際社会からの支援を訴えた[21]。また、3月17日には当会議に出席中のバヌアツ、サモア、クック諸島の各代表が揃って記者会見し、国際的な支援を訴えた[22]。なお、東京電力福島第一原子力発電所事故や原子力災害に関する議論が少ないことに、参加者の一部から批判が出た[23]。 期間中に催行された無料の被災地公式視察(スタディツアー)では、被災3県の津波被災地や福島第一原子力発電所の視察のほか、岩手・宮城内陸地震被災地、東北大学、学校(中学校・特別支援学校)や民間での防災教育、福島県の食の安全に対する取り組みなどを視察するツアーも用意された[24]。また、東北地方の情報発信として、歓迎レセプション、東北6県の文化・物産の紹介(東北おもてなしセンターほか)、有料のエクスカーション(東北6県の観光地)なども用意された[24][25]。 期間中には一般公開事業として、青森・岩手・宮城・福島の4県でシンポジウム(パブリック・フォーラム)やセミナーが約400件開催され[26]、夢メッセみやぎでの防災産業展、勾当台公園での「防災ひろば」「国際交流ひろば」、仙台フィルハーモニー管弦楽団の復興支援活動を紹介する記念演奏会[27]など様々開催された。
脚注脚注出典
関連項目外部リンク
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