和田義彦和田 義彦(わだ よしひこ、1940年4月3日 - 2016年3月25日)は、日本の画家。 2006年、イタリア人画家アルベルト・スギの作品との強い類似性が問題視され、芸術選奨文部科学大臣賞を正式に取り消されるなどの社会的な波紋を呼んだ。1950年に創設された芸術選奨の歴史の中で、賞取り消しは初めての事態であった[1]。 略歴
盗作疑惑2006年、芸術選奨で文科大臣賞を授与された際、受賞理由の一つであった回顧展にイタリア人画家アルベルト・スギの作品(『何処へ?』1991年)と酷似したもの(『旅立ち』2002年)を出展しているとの投書が行われ、文化庁が調査を開始した[4]。和田はイタリア留学中の知人であったスギの作品と酷似している事を認めつつ、「同じモチーフで制作したもので、盗作ではない」「本人に了解を取っている」「スギ氏とは30年以上の深い交流を通じて、作品の創作においても啓発しあった」「(スギ作品と)形を同化して私なりの空間、造形性を技法と絵肌で盛り込み、独自の世界を創造。盗作ではない」「一部の作品はスギ氏へのオマージュ」等と弁解したが、アルベルト・スギは「明らかな盗作」「事実は調査が始まって知った」「和田氏は私の絵のファンだと思っていた。画家だとは知らなかった。制作における影響関係もない」「和田作品は私の完全なコピーで盗作」「複数の作品をひとつにまとめたような作品まで作っている」と和田を強く非難した[5][6]。 6月1日、所属する国画会は和田に対して退会勧告を行い、特別企画展「国画会の画家たち」を開催していたメナード美術館は和田の作品を撤去した[7]。6月5日、文部科学省は和田への文科大臣賞・芸術選奨受賞の撤回を決定した[8]。これに先立って和田が希望していた受賞の自主返上については、「返上では受賞履歴は残る」として拒否した[8]。 参考文献一覧
『敵対狼群』学芸通信社1998年7月〜1999年11月/『正義の基準』三友社2001年3月〜2002年6月/『使命の条件』2006年
「法王庁の帽子」『小説宝石』2000年11月/「誉生の証明」『小説宝石』2000年3月〜
出典
脚注
外部リンク |
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