名和長憲
名和 長憲(なわ ながのり、1864年3月12日(文久4年2月5日[1])- 1939年(昭和14年)7月20日[1])は、日本の陸軍軍人、政治家、華族。陸軍少将、貴族院男爵議員、東京府荏原郡大井町長。旧姓・友清、旧名・庫蔵[1]。 経歴柳河藩士・友清貞治の二男として生まれ、同藩士・名和長恭(のち名和神社宮司、男爵)の養子となる[1][2]。養父の死去に伴い、1898年11月14日、家督を相続し男爵を襲爵した[1]。 1888年、陸軍士官学校(旧10期)を卒業し[2]、同年7月28日、陸軍騎兵少尉に任官[3]。以後、騎兵第4大隊中隊長、東宮武官、陸軍士官学校教官、騎兵実施学校教官などを経て、騎兵第1連隊長に就任し日露戦争に出征[4][5]。南山の戦い、旅順攻囲戦、奉天会戦などに参戦した[4]。 その後、近衛騎兵連隊長、東宮御用掛、皇太子殿下武料御教育掛などを務め、1914年5月11日、陸軍少将に昇進と同時に予備役に編入された[3][4]。 1917年6月2日、貴族院議員補欠選挙で男爵議員に選出され[6]、公正会に属し死去するまで在任[5]。その他、東京府荏原郡大井町長、荏原郡町村長会会長などを務めた[2]。 栄典
親族
脚注参考文献
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