台北孔子廟
台北孔子廟(たいぺいこうしびょう)または台北市孔廟は[1]、台北市大同区大龍街にある孔子廟[2]。台南孔子廟と並ぶ台湾の代表的な孔子廟[3]。 1875年から1907年まで存在した台北府文廟を前身として、1929年再建。2008年修復[4]。 学業成就を祈る参拝者が多く、ギフトショップや体験型ミュージアムがある観光スポットにもなっている[4]。 歴史![]() 清朝統治時代の1875年(光緒元年)[4][5]、前身である台北府文廟が、台北最初の孔子廟として建立された(台湾最初は台南孔子廟)[6]。場所は現在と異なり、台北府城南門そば(文武街)にあった[7]。 日本統治時代、台北府文廟は病院(台北衛戍病院)として転用され[8]、孔子の位牌等は別所に保管された[9]。1907年(明治40年)解体され、跡地は学校(台北第一女子学校と台北第一師範学校)となった[8]。 1925年(大正14年)陳培根[8]・黄賛鈞[8]・辜顕栄[8][10]・井村大吉[10]らが再建団体を結成し、1929年(昭和4年)着工、1955年(民国44年)竣工した[8]。 中華民国遷台後、台北が首都になると、中華民国の中核的な孔子廟となった[6]。1950年には、蒋介石が「有教無類」の扁額を寄贈した[11][12]。 1951年、民営から官民合営となり、1972年、大陸の文化大革命に対抗する中華文化復興運動のなかで、「台北市孔廟管理委員会」による官営となった[11]。 2006年、清代台湾の教育家である陳維英が入祀された[13]。 2008年、国民党の馬英九政権下で修復工事が行われた[14]。馬英九は「道貫徳明」の扁額を寄贈した[11]。 2011年、「六芸」がテーマのタッチパネルなどを使った体験型ミュージアムがオープンした[4]。 釋奠釋奠が毎年9月28日(孔子の誕生日[11][4]、教師節[4]、仲秋[11])に行われている[11]。 1907年の解体から再建までは、跡地の学校や龍山寺・保安宮の敷地を借りて釋奠が行われた[9]。再建から遷台までは、日本語による「読祝」や、戦中の湯島聖堂に倣った神道式の祭礼が行われた[15][16]。 遷台後は、台北市長が「正献官」(主祭)を務め、総統代理が上香に参加するのが定例となっている[11]。2008年の釋奠では、国民党の馬英九が歴代総統で初めて出席・上香した[11]。 1970年前後の中華文化復興運動のなかで、祭礼様式が制定された[11]。1975年に再建された沖縄の久米至聖廟は、台北孔子廟の祭礼様式の影響を受けている[17]。 ギャラリー周辺施設関連項目脚注
参考文献
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