古川城 (飛騨国)
古川城(ふるかわじょう)は、岐阜県飛騨市にあった日本の城(平山城)。国の史跡に指定されている(史跡「姉小路氏城跡」のうち)[1][2]。 概要古川国府盆地から、荒城川を隔てた山に位置していた。古川氏や、牛丸氏、その敵対する姉小路(三木)氏、塩屋筑前守などの城となり、最終的には金森氏の城となった。 歴史姉小路氏は、代々飛騨国司家とされた。だが、室町幕府から代々派遣されていた飛騨守護である京極氏に敗れ、一族も小島城を本拠とする小島家(宗家)・古川城を本拠とする古川家(古川氏)・向小島城や小鷹利城を本拠とする向家(向氏、向小島氏とも)に分裂した。その後、古川家の古川(姉小路)基綱・済継親子が小島家を圧倒して宗家の地位を奪うが、息子の秀綱に先立たれた済継が死亡すると、古川氏は断絶状態となる。これを利用した京極氏の家臣・三木良頼が古川家の名跡継承を朝廷に認めさせ、古川城を領した。これが戦国大名・姉小路氏である。なお、没落した小島氏も小島時光の代に三木(姉小路)頼綱の息子を養子に迎えて臣従した。 その後、戦乱で牛丸氏に渡った後、放棄された城に、永禄7年(1564年)に武田家重臣山県昌景から逃れた上杉家家臣塩屋秋貞が入った。しかし、秋貞は謙信死後に織田信長に仕え、信長死後に討死した。 天正13年(1585年)、第二代金森家当主金森可重は、養父である金森家初代金森長近と共に飛騨平定戦で活躍し、戦国大名姉小路(三木)氏を滅ぼすと、従五位下・出雲守に任官し、飛騨国古川城1万石の城主となり、古川城に入る。 天正14年(1586年)に宮川対岸の平城である増島城が完成すると、可重は古川城から移って城主となったため、古川城は廃城となる。 1959年(昭和34年)11月16日に岐阜県指定史跡に指定され[3]、2024年(令和6年)2月21日に国の史跡に指定された(史跡「姉小路氏城跡」のうち)。 脚注
関連項目
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