古今亭今輔 (3代目)
三代目 古今亭 今輔(ここんてい いますけ、明治2年(1869年)6月27日 - 大正13年(1924年)8月18日)は、落語家。本名:村田 政次郎。 浅草代地に住んでいたことから俗に「代地の今輔」やせっかちなエピソードが多いことから「せっかちの今輔」。 経歴東京深川の生まれ、子供の時の1883年、4年ころに二代目古今亭志ん生の門に入り志ん丸を名乗った。志ん丸は二代目今輔の前座名で待望されていたことが分かる。1889年3月に志ん猫と改名。 師匠志ん生死去に伴い4月に四代目三升亭小勝の門で三升亭小つね、さらに1896年1月に柳家小文吾となり1897年?に柳派の出世名である三代目柳家小三治襲名。 1904年半ばころに三代目今輔襲名。 糖尿病で死去。 人物せっかちで高座では落着きがなく投げやりな感じが多く音曲噺をはじめ噺も多かったが評価は少なかった。 「囃子長屋」「しらみ茶屋」「三人片輪」他多数の速記本が残されている。SPレコードは音曲噺を中心に大正時代に数枚吹き込んでいる。 芸歴
弟子移籍廃業出典
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