双ヶ岡1号墳
双ヶ岡1号墳(ならびがおかいちごうふん、双ヶ丘1号墳)は、京都府京都市右京区御室双岡町にある古墳。形状は円墳。双ヶ岡古墳群を構成する古墳の1つ。史跡指定はされていない。 概要
京都盆地(山城盆地)西部、双ヶ丘の一ノ丘頂上に築造された単独の大型円墳である。双ヶ丘では、一ノ丘と二ノ丘の間の谷筋に9基、二ノ丘の頂上に1基、二ノ丘南裾から三ノ丘に13基の古墳計24基が分布するが、本古墳はそのうちで最大規模になる[2]。これまでに盗掘に遭っているほか、1980年(昭和55年)に発掘調査が実施されている[2]。 墳形は円形で、直径44メートル・高さ8メートルを測る[2]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南西方向に開口した(調査後に埋め戻し)。石室全長15.8メートルを測る大型石室であり、石材には巨石が使用される。副葬品の大部分は失われており、石室内の調査では石棺片のほか、金環・鉄製品片・須恵器片・土師器片のみが検出されている[2]。 築造時期は古墳時代後期の6世紀後半頃と推定される[2][1]。太秦・嵯峨野地域の古墳のうちでは、蛇塚古墳に先行する時期の首長墓に位置づけられ[1]、嵯峨野一帯を開発した渡来系氏族の秦氏との関連を示唆する古墳として注目される。なお、戦前に清原夏野(837年)の墓として顕彰されたことで、古墳前に石碑が建てられている[2]。 遺跡歴
埋葬施設埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、南西方向に開口した(調査後に埋め戻し)。石室の規模は次の通り[2]。
玄室の奥壁は各1石の3段積み、側壁は4段積み、前壁は2段積みによって構築される。玄門部は1段、羨道の側壁は推定2段積みである[1]。玄室右壁の一部が崩れて天井石の一部が傾くなど崩壊する危険があるため、調査後に玄室部分には土嚢が充填されている。 石室内は盗掘に遭っており、調査では凝灰岩製石棺片のほか金環・鉄製品片・須恵器片・土師器片のほか、平安時代の土器のみが検出されている[2]。 脚注参考文献(記事執筆に使用した文献)
関連文献(記事執筆に使用していない関連文献)
関連項目外部リンク
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