原悦子
原 悦子(はら えつこ、1956年4月1日 - )は、日本の女優。 新潟県新潟市出身、相模女子大学高等部卒。日活ロマンポルノの黄金期を支えた重要な女優の一人である[1]。 当時は「原悦子大明神」と言われるほど人気を博した、元祖ポルノ・アイドルであった[1]。 来歴本名(広橋寿美栄=ひろはしすみえ)。デビュー時の芸名は「広橋すみれ」。1974年放送のTVドラマ「われら青春!」に生徒役で出演。 また、同年放送スタートのTVドラマ「純愛山河 愛と誠」にも生徒役で出演している。 そして、TVドラマ「われら青春!」に出演していた時期に、フジテレビの「オールスター家族対抗歌合戦」のアシスタント(ADのような仕事)もしていた。 俳優を目指して大映の第一演技研究所で演技の勉強をし、テレビCM等で活躍していたが、1976年、平凡出版(現マガジンハウス)より発行された平凡パンチ誌上のメイトクラブで、メイト・ガールとしてグラビアでデビュー[1]。 同年、大蔵映画制作のピンク映画へ出演。日活ロマンポルノへ活動の場を移したのちには、その清純さと飾り気の無い笑顔が話題を呼び、数々の作品が大ヒットを記録、絶大な人気を博した。ピンク映画時代はさほど目立った存在ではなかったこともあり、大蔵映画などは慌てて出演作品を再映したという。 メイト・ガール出身であったためか、当時のポルノ女優としては珍しくアイドル路線の売り出しかたをされたため、大学生を中心に若年層を劇場へ呼ぶことに成功。観客の年齢層が高く、集客に伸び悩んでいたポルノ産業へ新風を吹き込むきっかけとなった。 当時、ファンクラブである「原悦子フレンドクラブ」の会員は76万人にも及んだ。その人気にまつわるエピソードとして、武道館での大サイン会があり、彼女は多くの学園祭などにもひっぱりだこだった。 1978年には第一回学生アイドル大賞を受賞[1]。この年には日劇ミュージックホールで「愛とエロスのファンタジア」の舞台を踏む[1]。ケチで有名な東宝が大入り袋を出した[1]。同年、平凡パンチ創刊15周年を記念した企画「原悦子日本の旅」が各誌、週刊誌で話題を呼んが、これは大阪、名古屋、福岡など日本を横断してサイン会と撮影が行われるイベントであった。 40本を超すピンク映画出演歴を引っ下げ1978年にっかつ入社[1]。『トルコ110番・悶絶くらげ』などに出演し、18歳未満入場禁止の成人映画にしか出演したことのないポルノ女優が、高校生を含む広範な若者たちのアイドルになる[1]。日活ロマンポルノはそれまでも田中真理や白川和子、伊佐山ひろ子、東てる美、泉じゅんあたりが玄人筋から人気を集めた例はあったが[1]、ミーハー若年層から幅広い人気を集めた現象は原が初めてだった[1]。1980年には、にっかつ制作の一般映画、「おさな妻」へ主演。劇場は18歳未満の若者、そして女性の観客で埋まる。尚、ロマンポルノを引退した理由は一般映画、TVへ活躍の場を広げるためであったが、他には、にっかつから「本番(セックス)」を求められるようになったからだと、インタビューで答えている。また「愛の妖精」など、レコードも吹き込んでいる。 引退後は、大学生向けのフリーペーパー「カレッヂ・コミュニティ」を立ち上げる[2]。事務所は銀座の外れにあり、編集長として長年奔走するが、現在は休刊。原本人は、学童保育の指導員の資格をとり、活躍中[3]。 出演作品ドラマ映画
舞台
その他
受賞歴
出版
ディスコグラフィシングル
アルバム
関連した映画会社脚注関連項目外部リンク
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