千代の海明太郎
千代の海 明太郎(ちよのうみ めいたろう、1993年1月11日 - )は、高知県幡多郡黒潮町出身で九重部屋に所属した元大相撲力士。本名は濵町 明太郎(はままち めいたろう)。身長181.4cm、体重136.0kg。最高位は西十両8枚目(2019年3月場所)。 来歴相撲との出会い2歳年上の兄が地元の佐賀少年相撲クラブに入っていた影響から保育園の頃から相撲を始める。 高校~大学卒業まで高知県立宿毛高校では相撲部に所属したものの目立った実績は残せなかった。 日本体育大学入学後に徐々に力をつけ、大学2年次(2012年度)の東日本インターカレッジの団体戦で当時日本大学4年生で後に幕内力士となる遠藤聖大を得意の突き押しで撃破した[2]。4年次(2014年度)の全国学生相撲選手権大会では副主将を務め、団体戦優勝に貢献した。大学4年生の時に教職に進んだ日体大出身者の2人から「プロに行っておけばよかった」という後悔の声を聞き、角界入りに心が傾いた[3]。 入門後大学卒業から間もない2015年4月に記者会見を開き、九重部屋入門を表明。同年5月場所にて初土俵。同期生には霧島がいる。初めて番付に四股名(当初は本名の濵町)が載った7月場所では7戦全勝で序ノ口優勝を果たし、西序二段10枚目で迎えた翌9月場所でも7戦全勝で、千秋楽の優勝決定戦に進出。ここでも勝利し、序ノ口・序二段の連続優勝を達成した。東三段目19枚目で迎えた翌11月場所からは、四股名を故郷の海に因んだ千代の海に改めた[4]。同場所は前半3連勝したものの、中日の4番相撲で水戸豊に敗れ18戦目で力士生活初黒星を喫し、その後も負けが込み4勝3敗。しかし三段目に留まった翌2016年1月場所は再び勝ち続け、3度目の7戦全勝で三段目優勝。しかし同場所後に右肘の手術を受け、リハビリに専念すべく翌3月場所から7月場所まで3場所連続で休場。東幕下13枚目の番付は東三段目94枚目まで下がってしまった。 復帰以降は再び順調に番付を上げ、東幕下22枚目で迎えた2017年7月場所を2勝5敗とした以外は全ての場所において勝ち越しを続け、2018年1月場所では長期休場前の自己最高位を更新し、東幕下10枚目に在位。ここでも勝ち越し、翌3月場所も自己最高位の東幕下5枚目で5勝2敗の好成績を修めた。同場所では千秋楽に新十両の炎鵬との対戦が組まれ、初めて大銀杏姿で土俵に上がり、押し倒しで勝ったものの、他の力士の成績との兼ね合いから新十両は見送られた。続く5月場所は西幕下筆頭で4勝3敗と勝ち越し、場所後の番付編成会議で7月場所での新十両昇進が決定した。宿毛高校からは史上2人目の関取。新十両として迎えた7月場所は8勝7敗の成績で勝ち越し。翌9月場所も8勝を挙げて関取昇進後2場所続けての勝ち越しとなったが、東十両11枚目で迎えた11月場所は12日目に負け越しが決定。翌13日目も敗れて9敗となり、十両残留へ向けて後の無い成績となったが、残りの2番に勝利して辛くも関取の地位は守った。2020年7月場所前の栃煌山の引退により高知県出身唯一の関取となっていたが、同場所東十両14枚目の地位で6勝9敗と負け越したため、9月場所では土佐ノ海が十両に昇進した1994年11月以降26年間継続してきた高知県出身力士の関取在位が途絶えることになった。1場所で十両に復帰したが、4場所在位して再び幕下に陥落。幕下に下がった2021年7月場所は、場所前に左肘の手術をしたため全休となった[5]。 2021年11月場所は13日目の7番相撲で竜電と対戦し、敗れて6勝1敗となり幕下優勝を逃した。取組後に「強いですね。物が違います。完敗です」「みんなは向こう(竜電)が勝つと思っていたと思うのでやりやすかった。向かっていくだけなので」とコメント[6]。東幕下6枚目で迎えた2022年3月場所は13日目の7番相撲で金峰山と対戦し、敗れて6勝1敗となり幕下優勝と十両復帰を逃した[7]。翌5月場所は東幕下筆頭で迎え、5番相撲を終えた時点で3勝2敗だったものの、残る2番に敗れ、負け越して十両復帰を逃した。2023年5月場所では4勝3敗とし、場所後に開かれた番付編成会議で、7月場所の再十両が正式に発表された[8]。再十両が決定した日は同期の霧馬山が大関昇進を決めた日であった。因みに千代の海は同期の縁で番付順に拘らずスポーツ新聞の取材で「ハグア」と愛称で彼を指しているぐらいなものである[9]。自身が幕下で負けると相手が「元十両に勝ちました。この子は力がついていますね」と評され、元十両として比較対象にされるようになったが、自分も幕下から十両に上がった頃はそういう相手を倒してきたのだなと思い、奮起した[9]。13場所ぶりの十両となった7月場所では、西十両14枚目で初日から4連敗した後、中日の段階で3勝5敗まで盛り返したものの、9日目から4連敗し11日目時点で負け越すと、最終2日も連敗し4勝11敗と大幅に負け越して終えた。 2024年5月場所後の6月3日、日本相撲協会に引退届を提出して受理された[10]。番付編成会議後に引退を表明したため、翌7月場所の番付には四股名が残る。引退の際の取材では、思い出の取組を「全部」と答えている[3]。大学時代に中・高の保健体育の教員免許を取得しており、今後は都内で教員を目指すことを表明[11]。 引退後同年9月の東京都立足立新田高等学校での時間講師着任を経て10月、東京都立農産高等学校の保健体育科講師となった[12]。両国国技館での断髪式は2025年2月2日に控えているため、それまでは髷を残しての登壇となる[13]。 取り口鋭く当たってから突っ張りと身のこなしを活かすのが千代の海の相撲。 押し切れない場合は引きや叩きで仕留め、投げはあまり打たない。 取り口は兄弟子の千代の国譲りであり、千代の海の相撲は千代の国との稽古の産物である。 エピソード
主な成績通算成績
各段優勝
場所別成績
脚注
関連項目外部リンク
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