北側義一
北側 義一(きたがわ よしかず、1927年(昭和2年)4月26日[1] - )は、日本の実業家、政治家。元衆議院議員。 経歴福井県生まれ[1]。城東工業学校を卒業後、1945年(昭和20年)に近畿日本鉄道に入社する[1]。1947年(昭和22年)浪速工芸社の役員となる[1]。 1963年(昭和38年)大阪市会議員に選出され1期在任[1]。1967年(昭和42年)1月29日、第31回衆議院議員総選挙に、旧大阪6区から立候補し、初当選[1]。衆議院議員に連続6期在任した[1]。衆議院科学技術振興対策特別委員長、同建設委員長、同交通安全対策特別委員長などを務めた[1]。 1983年(昭和58年)公明党委員長の竹入義勝の下で、公明党中小企業係長に就任。同年の 第37回衆議院議員総選挙には出馬せずに矢追秀彦に地盤を譲る。 1984年(昭和59年)1月21日、北側物産株式会社を創設する。代表取締役社長、取締役会長を歴任する。 1986年(昭和61年)12月、公明党委員長の矢野絢也の下で公明党政策審議副会長に就任。 役職歴
脚注参考文献
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