大倉 三郎(おおくら さぶろう、1897年(明治30年)11月16日[1] - 1982年(昭和57年)10月29日[1])は、日本の政治家。衆議院議員(6期)。
経歴
大阪府中河内郡布施町(現東大阪市)出身[2]。旧制八尾中学中退[2]。布施町議、大阪府議を経て、布施市議から初代布施市議長となる[2]。1942年の第21回衆議院議員総選挙で大阪5区(当時)から翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選する。1944年から翌年まで布施市長に就いた。
戦後、推薦議員のため、公職追放となる[3]。追放解除後の1952年の第25回衆議院議員総選挙で自由党から立候補して当選。その後、自由民主党国対副委員長、同副幹事長、同大阪府連会長などを歴任した[4]。1967年の第31回衆議院議員総選挙に出馬せず、塩川正十郎に地盤を譲った。翌年勲二等旭日重光章を受章した[1]。1982年10月29日死去、74歳。死没日をもって正四位に叙される[5]。
この他に東神鉱業、東大阪商事の各社長も務めた[4]。
脚注
- ^ a b c 『新訂 政治家人名事典 明治〜昭和』108頁。
- ^ a b c 議会新聞社 編『翼賛議員銘鑑』1943年、84頁。NDLJP:1439721。
- ^ 『朝日新聞』1946年2月10日一面
- ^ a b 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』126頁。
- ^ 『官報』第16731号7-8頁 昭和57年11月6日号
参考文献
- 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年。
- 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年11月。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年(平成15年)。
衆議院建設委員長 |
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官選 |
- 塩川正三1937.7.19-1938.7.1
- 椎野信次1938.11.26-1939.10.14
- 鳥羽源四郎1940.3.11-1944.3.10
- 大倉三郎1944.3.22-1945.11.10
- 塩川正三1946.1.11-1947.3.10
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公選 |
- 塩川正三1947.4.5-1951.4.4
- 鈴木義仲1951.4.23-1963.5.6
- 辰巳佐太郎1963.5.7-1967.2.1(廃止)
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カテゴリ |
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1967年2月1日合併 |
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合併後 |
- 辰巳佐太郎1967.2.19-1970.6.14
- 伏見格之助1970.6.14-1982.6.13
- 北川謙次1982.6.14-1989.12.06
- 清水行雄1989.12.24-1998.5.20
- 長尾淳三1998.7.12-2002.7.11
- 松見正宣2002.7.12-2006.7.11
- 長尾淳三2006.7.12-2007.9.14
- 野田義和2007.10.28-
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