加茂地区 (徳島市)
地理徳島市北部に位置し、中心市街地[1]の北に接する。 加茂地区の区域は、戦時中の1937年(昭和12年)に徳島市に編入された加茂町町域の大半を占める。ただし、旧加茂町上助任(ほぼ 現 上助任町)は渭北地区である。 吉野川デルタの一部で、北・東・南の3方を鮎喰川(北)・吉野川(北)・新町川(東)・田宮川(南)に囲まれている。ただし吉野川以外は地区境と一部ずれており、田宮川・鮎喰川対岸の一部が加茂地区に含まれ、新町川手前の一部が加茂地区に含まれない。 県道30号が地区を東西に貫き、その両側が商業地となっている。他は主に住宅地だが、東部の田宮(北田宮・南田宮)などの一部が工業地や住工併用地になっている。北部には吉野川と鮎喰川の河川敷が広がる。 河川
隣接する地区
不動地区とは鮎喰川、応神地区とは吉野川、渭北地区・内町地区とは新町川、佐古地区とは田宮川を挟んでいる。ただし、渭北地区との境の一部は新町川の手前、佐古地区・不動地区との境の一部は田宮川・鮎喰川の向こう側である。応神地区との間に橋はないが、他の地区とは橋で結ばれている。 町人口は徳島市による推計[2](2011年6月)。
一方で、
を含み、
地区を町単位で決めることもあり、その場合、北矢三町全域を含み、北佐古を含まない[1][5]。 歴史地区名の由来平安時代にあった加茂郷(賀茂郷とも)が、地名の由来である。1889年の加茂村成立の際、村名として採用され、地区名にも引き継がれた。 ただし加茂郷の位置には諸説ある。『大日本地名辞書』は加茂地区・加茂名地区とするが、『日本地理志料』は北井上地区・南井上地区、『徳島県史(第1巻)』『阿府志』は南井上地区、『阿波志』は石井町とする。 近年の発掘調査によると、「加毛」と書かれた平安時代の墨書土器が庄町から出土したことから、加茂名地区・佐古地区(庄町・蔵本町・佐古)とする説が有力である[6]。 年表
交通道路
橋
教育機関
施設公共施設社寺・史跡
その他ギャラリー出身者出典 |