阿波志阿波志(あわし)は江戸時代に徳島藩が編纂した阿波国(徳島県)の地誌である[1][2][3]。 編纂史徳島藩の11代藩主蜂須賀治昭は寛政4年(1792年)に、『阿波志』の編集にあたらせるために、お抱え儒学者の佐野山陰(佐野之憲[4]、佐野憲[5]、藤原之憲[6]、藤原憲とも。1751年-1819年[5]。)を「編集御用」に任じた[4][7]。 佐野は、翌寛政5年(1793年)に、国内の町や村、港に地誌調査を命じた[4][1]。これにより、各地の官吏や庄屋を通じて諸地の地理や歴史、戸数と人口、田畑の石高や特産品、神社仏閣や名所旧跡に関する情報が収集された[4][6]。その後、寛政10年(1798年)には佐野自らが各地の巡察を行い、資料の収集も行った[4]。 これらの情報がまとめられ整理されて、藩命から23年後の文化12年(1815年)に全12巻12冊の『阿波志』として完成した[4][7][2][1][6]。 こうした編纂経緯のため、完成は文化12年(1815年)だが、収録されている情報は寛政5年(1793年)ないし6年(1794年)、10年(1798年)当時のものだと考えられている[4]。 構成阿波国の郡ごとに1巻が割り当てられ、各郡の土地に関する情報を中心に、地誌、寺社、城址、人物などについて記録されている[4]。漢文で記されており、中身は簡潔で、古文書史料の引用などはみられない[8]。 全12巻の構成は以下の通り[4]。
諸本
旧蜂須賀家に伝わっていたもので、「蜂須賀文庫」の印がある[4]。徳島県指定有形文化財である[8]。徳島城博物館所蔵[8]。
明治31年(1898年)に後藤家本から写本が作られ、さらにそれから明治45年(1912年)に写されたもの[4]。「阿波国文庫」の印がある[4]。国立国会図書館所蔵[8][注 1]。
昭和6年(1931年)に、笠井藍水(1891年-1974年)が活字で刊行したもの。1976年(昭和46年)に復刊版が刊行されている[9]。ただし誤字があるほか、原本とは構成が変更されている[8]。 評価『阿波志』を編纂した頃の徳島藩では財政が行き詰まっており、藩は当書編纂を通じて農村経営の改革を図ったのだという[6]。 『異本阿波志』江戸時代に成立したとみられる編者不明・成立時期不明の地誌。書題は『阿波志』であるが、徳島藩撰の『阿波志』(本項)との区別のため『異本阿波志』とよぶ。地誌をはじめ内容が豊かで、徳島城の城下町の成立史には重要な記述がある。数多くの写本があることから、同書が重要視されていたと推測されている[10]。 成立時期は様々な伝があり、他の文献史料からの言及では宝暦7年(1757年)の成立とするもの、宝暦13年(1763年)の成立とするものがある。しかし本の中身にはこれより後代の寛政年間(1789年-1801年)のことも書いてあり、寛政期成立とする説や、宝暦期(1751年-1764年)から明和期(1764年-1772年)とする説などがある[10]。 脚注注釈出典
書誌情報
関連項目外部リンク電子版テキストデータ版
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