前田重靖
前田 重靖(まえだ しげのぶ)は、加賀藩の第8代藩主。加賀前田家9代。第5代藩主・前田吉徳の五男であり、吉徳の息子で藩主についた5人(宗辰、重煕、重靖、重教、治脩)のうち3番目の藩主である。 来歴享保20年、金沢で生まれる。[1]幼名は嘉三郎。延享4年(1747年)、諱を利見(としちか)とする。寛延元年(1748年)の加賀騒動により、翌寛延2年(1749年)3月、異母兄・利和と入れ替わる形で江戸に上り、藩主・重煕の仮養子となる。宝暦元年(1751年)11月、松平の名字を与えられる。[2]同年12月、将軍徳川家重に謁し、従五位下に叙されて上総介を称する。 宝暦3年(1753年)5月18日、異母兄・重煕の死により、末期養子として家督を継いだ。6月、重煕と同じく将軍徳川家重より偏諱を授かって重靖に改名する。また正四位下・左近衛権少将となり、加賀守を称する。同年7月28日、藩主として初めて帰国の許可を幕府より得る。8月16日出立するが、道中で麻疹を患い、金沢に到着するものの、9月29日に19歳で病死した。同年10月5日に至り、加賀藩は重靖の死亡を公表した。家督は異母弟の利篤(重教)が継いだ。 系譜脚注 |