利用者:Prism11 VYB05736

個人情報

ja この利用者は日本語母語としています。

父も母も日本で生まれた日本人。姓から調べると平氏。韓国に2泊3日で旅行に行ったのが唯一日本から出た経験である。どうでもいいことだが実家は祖父の父の代まで鍛冶屋であった。鍛冶屋は技術職で、技術職は朝鮮半島から来た人が多いので、遠い先祖は朝鮮人だったのかも知れない。

名古屋弁この利用者はよぅ、名古屋弁を母語にしとるんだて。方言バベル

母語にしとるっちゅうても普通にしゃべくっとるだけなんだけどよぅ、どうもよその人に言わせると名古屋弁しゃべっとるらしいわぁ。大学時代には静岡に住んどったけど全然写らんかったわぁ。商売しとる時には似非大阪弁が混じりまっせ。

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This user is able to contribute with a basic level of English.

時間は掛かるものの、辞書を片手に読めないこともない。しかしそうやっても結局意味が取れないことも多々ある。まぁ最近趣味の調べものを少しずつしているからまた勘が戻ってくると嬉しい。大学受験期には日本語より英語の方が速く読めたものだったが、、、(遠い目)

この利用者はプリズム11のホームページウェブサイトを運営しています。

趣味全般について色々書いている。立ち上げた2001年3月当時とは業界自体の情勢が変わったり自分の興味自体が変化してしまった分野もあって、少しずつ書き換えてはいるものの、構成に少し悩んでいるところ。後述するブログ等を並行して運営しているので、そちらとの棲み分けも問題だと思う。まぁ所詮趣味なんであまり悩んでもしょうがないし、適当にやっていくつもり。

この利用者はブログを運営しています。

ホームページの項目として挙げる程でもないバカ話や日記的項目を書くのにプリズム11の趣味生活日記というブログを2005年6月に立ち上げた。ブログは簡単に記事を書けるというが、体系的にするのには向かないと思う。

この利用者は mixi ユーザーです。

プリズム11の趣味生活日記だと万人に公開しなきゃならんので書きたいけど書けない事柄が多く困っていたところ、バイクの仲間にmixiを紹介してもらって入会したら日記を友人限定に出来る機能があったため2006年10月からプリズム11の日記(友人限定)を始めた。で、気楽に書けるのでこれが主力となってしまっている。

macOSこの利用者は macOS を使用してウィキペディアに寄稿しています。

それまではMac OS X v10.3を積んだiBookG4であったが使用にかなりの制約が出て来ていたため、2008年9月にMac OS X v10.5を積んだiMacを新品で購入した。マッキントッシュのOSは出る度に驚くほど良くなっている。滅多にバージョンアップされずまたバージョンアップされても「新製品より旧製品の方が安定している」などと言われ旧製品を探して買う人がいる某社の製品を使う奴の気が知れない。

Fxこの利用者はMozilla Firefoxを使用してウィキペディアに寄稿しています。

iBookG4使用時どうもSafariの動作がおかしいのでFirefoxに切り替え、それ以来使っている。Safariも良くなったのだろうが面倒なのでこのまま行くつもり。確かクレディセゾンか何かの時だけInternet Explorerが必要になるが、それ以外は全部これで済んでいる。ちゅうかInternet Explorerしか使えない仕様なんかにするなよ、、、

ウィキペディアンこの利用者はウィキペディアンです。

ボランティアで百科事典を執筆するなど酔狂と言えば酔狂で何の魅力があるかと思うが、結構ハマッている。昔例えばカメラのことを調べたくても本を買わなければならず、しかも本にはいい加減な情報しか載ってなかったという時代の反動なんでしょうねぇ。コンピューター通信が始まってからユーザー間で情報交換できるようになりいくらでも情報が手に入るのは幸せなことだ。

この利用者はYouTubeユーザーです。

法的にはともかく、これはかなり画期的なものだったと思う。昔懐かしい曲のビデオクリップを一杯見られた。思うに、著作権に関する法体系は限界に来ているのではなかろうか。YouTubeのユーザーにも少なくとも「有料の動画を無料で見たい」「出回っていない動画を見たい」という二通りの需要があるわけで、それをひとからげに「違法」と片付けるのは簡単なのだが、後者については批判されるようなことだろうか。「お金を払って大っぴらに見られるならそっちの方が良いけど、売ってない」という人も多いのではなかろうか。YouTubeやアップロードユーザーに文句を言うくらいなら売ってからにすれば?と思ったりもするのだ。実際△11もYouTubeで曲名を知って音楽購入に繋がった例がいくつもあるので、宣伝につなげる方が得策だと思う。

この利用者はが好きです。

モモ。雉寅。雌。尻尾を噛んでも何も言わないが鼻を舐めると迷惑そうな顔をする。脳性麻痺で毎日苦い粉薬を飲まされているので△11が粉薬を飲んで苦そうな顔をしていると喜ぶ。最近一緒に寝てくれないのは寝返りで潰されたのか?

この利用者は主にGoogleをインターネット検索に使用しています。

まぁ問題は聞くけど、現状何か検索するならこれだすね。ごちゃごちゃしてないのが良いし、△11が使用している範囲では的確な検索をしていると思う。グーグルマップも楽しいし。

この利用者はウィキプロジェクト カメラに参加しています。

幽霊部員だが、一応籍だけ置いてある。本当は色々思うところはあるけれど、それぞれの人が思い入れを持って記事を書いているから改革は難しいですな。だって自分も自分の書いた記事を(自分から見て)変な風に誰かに書き換えられたら正直嫌だし。無論△11から見て合理的に変更されて感心することも多々あるけど、一生懸命考えて合理性があると思っていることを変更されたりするからねぇ。まぁ「合理性」なんてものは人によって違うし、独りよがりである可能性もあることを前提で言っているわけですが。

ウィキペディア記事執筆しながら感じたことについての独言

ルールについて

ウィキペディアは辞書ではありません
この文章はWikipedia:ウィキペディアは何でないかにある。
要するに「辞書はウィクショナリーがあるんでそっちに書け、ウィキペディアは百科事典だ」ということなのだが、「最初に定義を書け」ってルールがウィキペディアにあるんだし、インターネット上に百科事典がある以上辞書は要らないのではなかろうか。何しろある程度の記事が書けないと項目を立てられないのは欠点だ。短い記事でも立っていれば、検索で来てその僅かな情報を入手できて喜ぶ人もいるだろうし、「書き足してやろうか」という人も出るだろうに、、、
「実際に適用するのをどうにもならんスタブばかり作ってる奴に限定する」という運用で良いと思うのだが、どうなのであろうか。
出典を示す責任は掲載を希望する側に
Wikipedia:検証可能性には「検証不可能なことは載せない、立証責任は載せる側にある」という趣旨のことが書いてある。
△11が書いている記事はかなりの部分が自分の記憶と、師匠が手書きで作って手下に配った資料によるものなので、△11自身による検証は難しい項目もある。検証不可能な部分は削除しなければならないが、それをしたら△11が新規作成した項目は項目ごとなくなってしまう。つまり、しなければならないのは文章の書き換えでなく項目自体の削除であろう。というわけで順次削除申請を出したのだが、Wikipedia:削除依頼/イカ (カメラ)にあるとおり賛成した人はおらず、削除申請に出した全ての項目が存続終了となった。不思議なことである。
要するに「検証可能性」は故意にデマを書き散らす奴のために置いてあるのであって、平穏にどっちでもいいことを書いている人たちに対して振り回されるべき条文ではないのであろう。
(追記)この部分を読んでであろうか、例えば2010年2月ノート:アウディ・クワトロや2011年12月ノート:システム望遠鏡に見るように「△11が出典なしで書きまたそれを正当化している」とする馬鹿者が出て来た。別に出典不可能論なぞ唱えていないし、ちょっとその分野に詳しい人が探せばすぐに出典が見つけられる程度の話しか書いていないと思うぞ。無知な者が「出典出せ」なんて言っても無意味だし、詳しい人なら出典とさらに詳しい情報を追記してくれれば良いだけの話。△11程度の生半可な知識しか持っていない者が書く余地がある現状が間違っているのだ。本当なら△11だって寝転びつつ人の書いた詳しい情報を得たいわぃ。
(追記)2012年6月豊臣秀吉で「家康の片腕であり秀吉との折衝役であった石川数正が出奔した際、自らの配下とした。」という記述が、出典がないことを理由に削除され、編集合戦になっていた。図書館に行ったら1時間以内に出典が3つ見つかった。つまり日本史の人にとっては常識と言えるだろう。書き加えた人の言い分「史実だから出典は要らない」もどうかとは思うが、常識について自分で出典を探すこともせず「出典をつけろ」って要求したり削除したりするのは嫌がらせor教条主義でなくて何なのかねぇ。だいたい{{要出典}}なんてつけて回る奴に限って、出典つけたって読みゃあしないのである。そう言えば2009年2月腕時計で「世界初のクォーツ腕時計」セイコーアストロンの発売年について誤植記事を持って来て「1964年発売だ、出典もある」って言い張った人もいたっけ。常識かどうかも分からない程無知な分野の記事で、常識かどうか調べるのも面倒臭いなら、触らないのが無難だよなぁ。
Wikipediaはいつか「半保護」になる
ログインせずIPで書いている人がいる。無論まともな人も多いしそういう人たちに関しては別に良いと思うのだが、やたらIPを切り替えつつ同じ修正をかける奴もいたりする。議論をしようにも反論が「それは私ではありません」で終わったりして、誰と話しているのかワケが分からない。△11はいくつかの騒動を経て「IPの執筆は禁止、すなわちWikipedia全体を半保護にした方が良いのではないか」と思うようになった。草創期は皆に気楽に参加してもらって記事数を増やし内容を充実させるために必要だったのかも知れないが、もうそろそろ責任ある執筆が重視されるべきだ。管理者がブロックをかけようにもIPの方が面倒なようだ。そもそもログインするのにそんなに手間はかからない。特にこの件についてアクションを起こそうという気はないのだが、多分皆がそう思っているだろうし、△11が何もしなくてもそのうちそうなるだろうと思っている。

人の書いた記事を読んで

信者は嫌い
どこの分野でも熱烈な信奉者の書いた広告まがいの記事に辟易している。「感じるな、考えるのだ!」
伝統は大事
「信者は嫌い」とも関わるが、、、奴ら「伝統」を語りながら歴史なんか知らないし、知ろうともしないし、興味も持ってない。別に興味がないならないで良いし知らなくたって何の問題もないが、それなら伝統を語るべきではない。ウィキペディアに限らずそういう輩は存在するんだが、例えばコンタックス厨、「日本製レンズはダメ、ドイツ製じゃなきゃ」ってならボディーもちゃんとドイツ製コンタックスを使用せよ。
スイス機械時計ブランドについて記事を書くなら1969年以前の状況を中心に据えて書くべき、、、とまでは言わないが少なくとも一応把握して書くべきだ。機械時計産業はクォーツショックにより一度ほぼ壊滅した。その後レトロブームの一環で復活し、さらには儲かるようになって旧名門ブランドに投資屋どもが乱入するなどバブルの様相を呈している。多分現代人のブランドイメージの高低はここ10〜20年の各ブランドに投入された宣伝広告費によって決められている部分が大きいんで、そんな中現代の価値観のみで記事を書くのは投資屋の片棒を担ぐだけになってしまうと思う。例えば、自社ムーブメントを使っていた時代抜きのモバードなんて、歌手だった時代抜きの山口百恵みたいなもので、書きようがないはずなのだ。「ではどう書き直せばよいのか」という問題があってなかなか執筆までに至っていないが、、、
日本語版は日本語で書くべし
原則日本語で表記すべきとルールで明記されているウィキペディア日本語版になぜアルファベット表記が跋扈しているのだろう。ルールでも例外的に認められている通り「アルファベット表記が公式であって定着した日本語表記がない」とかなら話は別だが、、、シンセサイザー分野の「Korg」「YAMAHA」「Roland」、カメラ分野の「Nikon」「Nikkor」「Canon」「Olympus」「Zuiko」「Minolta」「Rokkor」、自動車分野の「Porsche」「Ferrari」「Lamborghini」等、どれもカタカナで書くのは難しくあるまぃよ。もしかして「アルファベットで書くとカッコいい」とか思っている人がまだいるのだろうか。△11のした項目移動はほとんどこれの修正と、それに伴う様式統一だ。
同じ理由で「デファクトスタンダード」「ソリューション」「コラボレーション」「アンチテーゼ」とかも止めて欲しい。読んでいて恥ずかしい。
ふりがなは強調不要だろう
ルールで「お題は強調が必要」とされているが、そのふりがなまで強調する必要はないのではなかろうか。読めない人が一度使うだけなのに結構な頻度で強調されているのは理解不能だ。
安易に略号を使うべからず
SLR、TLR、RF、AF、MF、SWM、MTR、HDD、FDD等安易に略号が使用されているのには暗澹とする。百科事典は知識のある者同士で交流する場所ではない、そういう趣旨の個人のウェブサイトなら勝手にすれば良いが、ここは知識のない人も知識を求めてやって来る場所なのだ。

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